2012年02月04日

節分

それは、節分の日だった。

昔でいう大晦日の日で、
明日が新しい年の始まりというその日、
豆まきをし、恵方巻を食べ、
昔の年末を静かに味わっていた。

シャワーを浴びて、リラックスしながら、
ワインを飲んでいたら、
ふと一冊の本が気になり、手に取った。

それは、何気なくもあり、
ただ、後から思うと、
必然でもあったのかもしれない。

その本は、中原中也の詩集だった。

中原中也詩集は、
私が中学か高校の頃、読んだ本で、
彼は、明治40年に生まれ、
30歳で亡くなった。

悲しく、切なく、繊細で、
純粋すぎる詩人で、
昔から気になる詩人の一人でもあった。

そして、その日、手に取ったその本は、
私の母方の祖父の遺品だった。
祖父は、詩集の表紙に、
中原中也のモノクロの写真を貼っていた。
私は、祖父が亡くなってから何年か後、
そっと祖父の本箱から持って帰ってきていた。
昨年は、祖父の7回忌の法事もあり、
画家でもあった祖父は、私にとって、
とても大切な人だった。

その詩集は、私の本箱に住み続け、
何年か経ち、今日、節分の日、
祖父を感じ、想いながら、読んだ。
それも偶然であり、
そして、必然だったのかもしれない。

中原中也の詩の中では、数多く、
自分の長男、文也の死の悲しみ、絶望を表現していた。
29歳で長男を失い、30歳で中原中也は、
長男の死のショックにより、精神の変調を感じ、
その年、結核性脳腫瘍を発病し亡くなってしまう。

また、祖父は、私の母を長女に
3人の娘のあと、長男を授かるが、
1歳にもならないで、栄養失調のため、
長男は亡くなってしまったと、母から聞いてはいた。
当時、お金もなく、ダンボールに入れて
お寺の中の土の中に埋め、
そばに咲いていたつばきの花を添えたと
聞いていた。

何故、祖父が死ぬまで
中原中也の詩集を大切にしていたか、
今日、初めて知った。

祖父は、中原中也と同じ悲しみを、
詩を通して共感しあい、
なぐさめあい、過ごしてきたということ。
長男が亡くなってから、ずっと、
自分が死ぬまでの間、
誰にも気付かれず、この詩集の中でだけ、
祖父は、長男を想い続けていたのだということ。
その思いを、孫である私に
託してくれたのかもしれないと、
おそろしいまでに感じた。

この深い祖父の思いは、今日、この日に、
やっと私を通して知らされることとなった。

私は、夜中になっていたが、母に電話をした。

「おじいちゃんの気持ち、
 きっと、誰も知らなかったと思うけど、
 私、分かったよ。
 中原中也を、どうしてずっと読んでいたか、
 分かったよ。」

母は、私の説明を聞いて、話し出した。

母は、私の弟でもある長男が、
1週間で死んでしまった時、
母に向かって祖父が、

「私と同じ気持ちだね。」

と、静かに言ったことを想い出していた。
母は、泣いていた。

母自身、祖父が息子(母の弟)を亡くした悲しみを、
そんなにも長く引きずり、想っていたことは、
知らなかったという事実を知った。

祖父は、自分が亡くなった後、
中原中也の詩集を私に託し、
私に気持ちを伝え、
そして、私から自分の娘でもある母へ、
メッセージを与えたことになった。

歴史はつながっていく。
きっと先祖は、私たちを見守り、
私たちは、それによって生きている。
それが宿命でもあり、
必然なことであるのかもしれない。

そんなスピリチュアルなことを感じた、
感じずにはいられない日、
それが、節分だった。

中原中也と祖父は、私の中で、
はじめてひとつの形となっていった。

投稿者 椎名 あつ子 : 18:01

2012年01月30日

最近、また、地震が増え始めている。

昨日は、NHKで3.11の時の震災を
経験した人の話を特集していた。

目の前で津波と津波がぶつかり合うのを、
目の前にしたという消防団の彼は、
落ち着いて淡々と、
ひとつひとつの言葉をかみしめながら、
話をしていた。

「波の音はものすごく、ゴーゴーと、
 たくさんの物を飲み込みながら
 発していたけれど、
 私にとっては矛盾していますが、
 静寂な時間だったと記憶しています。
 そして、そのとき、
 生きることをあきらめました。」

と。
その人は、奥さんと19歳のひとり娘を失い、
ひとり残され、と話しつつ、
仏壇の前に座っていた。

昔の人は、自然を神の力と
受け入れながらも、恐れつつ、
食物が育つように、
実りへの感謝の祈りをささげてきた。
神は、私たちにいいことだけを与えはしない。
試練や、絶望や悲しみも、一緒に与え続け、
私たち人間に何かを教えようとしている。
自然は、そのなかのひとつなのかもしれない。

そんな中、先週、私の知り合いの奥さんが、
がんで亡くなった。
入院して1日で、この世を去った。
52歳だった。
突然すぎる出来事に、茫然とした。

この世に生を与えられ、
生きている今があり、
ただ、先のことは何ひとつとして
分からないという現実について、
考えさせられた。
今日、大地震が起きるかもしれないし、
1ヶ月後、死んでいるかもしれないという運命が、
誰にもあるということ。

ならば、人にもっと優しく生きよう。
ならば、自分をもっと大切にしよう。
ならば、少しでも笑って生きよう。

私の命の時間が、あとどれだけなのか
分からないのであれば、
そうだ、やっぱり、
1日1日を大切にしよう。
そして、もっともっとすべてに対して、
感謝のできる人となろう。
静かに目を閉じて両手を合わせる時間を
もっと持っていこう。

それが、今、私は生かされているということを
忘れないで生活していく一歩になると
思っている。

命。
なんと重い言葉なのだろうか。

そんなことを考えた週末だった。

投稿者 椎名 あつ子 : 16:05

2012年01月23日

母の誕生日だった。

75歳を過ぎた頃から、彼女はよく、
「死」について話すようになった。

「あと何年、生きていけるのかしら」
「あと10年は無理よね」
「その頃、私はいるかしら」

など、同年代の芸能人たちが
亡くなっていくのを見るたび、
悲しそうに、切なそうに、
ポツポツと言いはじめる。

そしてまた、少しだるかったり、
風邪をひいたり、
胃がムカムカしたりするたび、
重い病気になったのだと思い込み、
一気に元気がなくなってしまうのだ。

そんな母を見るたび、
人は老いていくのだと、実感する。
そして、老いていくということは、
必ず、死というものが目の前にあり、
それを毎日のように意識せずには
いられなくなるものなのだということを感じた。

そんな母に、母の大好きなラムが
たくさん入った、
フルーツケーキを焼き、
ネイルアートの券をプレゼントした。

「おしゃれできれいな母へ
 心も体も大切にして
 ずっと私の側にいてね」

2~3日後、母からお礼の電話がきた。

「病院の看護師さんが、
 あら、すてきなネイルね。
 ウキウキするでしょ。
 って、いってくれたの。
 毎日、鏡で指を見ているの。
 あー、すてき!!って思うわ。
 ありがとう」

75歳を過ぎた母だけど、
女性として美しく、
かわいらしさを忘れずにいるということは、
心をほっとさせてくれるし、
とても大切なことだと伝えたかった。

ずーっと昔、私が子どもの頃、
母は、私にたくさんのことを強制し、
従わせようとする人だった。
たくさんのことを指示され、
そんな母が、昔は嫌いだった。

今、あれから何十年も経ち、
母は、私が保護するべき人となっていった。

母を守ることが、
私の生き方のひとつとなっていることを
あらためて感じた日だった。

投稿者 椎名 あつ子 : 20:54

2012年01月09日

2012年

新年明けましておめでとうございます。
2012年が始まりました。

奈良の興福寺の貫首の多くのお言葉の中に、
「冥の照覧」(みょうのしょうらん)
というお言葉があります。

冥(みょう)とは、暗いとか、
目に見えないという意味で、
人間を越えたもののことです。
そして、その視線が我が心に注がれる、
それが「冥の照覧」という意味だそうです。

確かに、私たちの五感で感じられる物は、
正確で分かりやすい物で、
人にも理解されやすいことでもあります。

ただ、心で感じ捉えなくてはならないことは、
見えないし、人それぞれの心の
奥深いひだの中にあるものなので、分かりにくく、
人からは流されやすいものです。

人の評価や人の目が気になるのは、
私たち人間の、悲しいかな、
あたりまえのことですが、
人の目の届かない所での行いや、
人には気付かれにくいけれど、
きめ細やかな思いやりや優しさは、
いつか、後になって、
分かる人には気付かれることだと思います。

「目に見えないから美しい」

といった、有名な、サン・テグジュペリの
星の王子様の一節のように、
分かりづらく、目には見えないからこそ、
心というものを、もっと感じ、
大切にしてゆきたいと思っています。

京都の紅葉の奥ゆかしい美しさや、
箱根神社の大きな杉の木の雄大さに
心惹かれるのは、
目に見えない時の流れという歴史が、
そこには刻まれているから…

そんな、言葉ではいいあらわせない言葉を、
静かに、穏やかに、
心の中に息づかせて、響かせ、
大切に大切にあたためて、
そして、誰かに伝えていくことが
できますように。

そんな1年になることを、心から祈りつつ、
今年最初の気持ちとして、
皆さまに伝えたいと思います。

人それぞれの、たったひとつの心を
大切に…

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 椎名 あつ子 : 18:06

2011年12月30日

年の終わりに

今年の終わりに、
宿命と運命について、考えてみた。

運命は、どんな時でも、
その人自身で変えていくことができる。
私はそう思っている。

宿命は、ある日、
それは突然であったり、必然であったりで、
私たちの力ではどうすることもできない
出来事が起きること。

例えば、親やきょうだいを選べない私たち人間は、
その親やきょうだいを持ったことは宿命。

ある日、突然のように、
病気や事故に遭遇したことも宿命。

信じて疑いもしなかった人から、
突然、裏切られ、別れをいい渡される…
これも宿命。

ある場所に行って、
共感できる人に出会ったこと、
これも宿命。

ただ、問題なのは、その後の生き方なのだと思う。

あきらめたり、落ち込んだり、
絶望したり、幸せを感じたりしたその後、
自分がその宿命をどう受け止め、受け入れ、
これからの生きる道に、
どう役立たせることができるのか…。

その人の考え方や、行動の仕方や、
決断や、勇気によって、
運命は変えられる。

私は、本当にそう思っている。

3月11日に地震が起きたように、
その宿命をみんなで
受け入れないわけにはいかない。
でも、その後の生き方で、
一人一人の運命は違ってくる。

私は、いい運命にしていくために、
それを見出せる能力や勇気を、
そして行動や決断を
身につけていくための努力を、
来年も…そしてずっと、
信じて持ち続けていきたいと感じている。

この世に命を与えられた宿命を
大切にしながら、
それを私なりの運命として
後悔しないように、
いい変化に持っていきたい。

長い間、苦しんで悩んできた出来事が、
いい形として、幕がおりたような気がした今日、
宿命と運命について、
深く深く考える日となった。

素敵な年の終わりと
なれそうに思える。

そして来年、訪れるだろう、
さまざまな宿命を、
おそれることなく受け入れて、
私なりの生き方にしていきたい。

運命よ、永遠に。
今年も、たくさんの方々と出会いました。
この出会いを大切に、
2012年もいい1年にしていきたいと
思っています。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

今年も1年間、
心からありがとうございました。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:33

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

横浜市中区に開設している女性のための心のカウンセリングルームです。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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