2009年01月アーカイブ

2009年01月27日

朝青龍

大相撲初場所の千秋楽から
一夜明けた昨日、
横綱朝青龍が会見をした。

日曜日の夕方、私は、
優勝決定戦で白鳳を破った朝青龍を
じっと見続けていた。
目頭を熱くしながら、
喜びを体全体で表現していた。

「長いトンネルを抜けて
やっと青空が見えてきた」

という会見の言葉に、

「朝青龍、また帰ってきました」

が、また再び
私の心に響いてきた。

過去の彼の行動は、
たくさんの人からのバッシングを受け、
また、精神病の診断を受けたり、
怪我による3場所休場があったりと、
確かに、困難な道のりだったと思う。
大きな辛い道のりを、
あきらめず乗り越えたという
彼の姿には、
私は、彼のファンだからと
いうことではなく、
ただ素直に感動した。

今日の新聞で、彼のガッツポーズについても
「品格ゼロ」
という指摘をしている有名人も多いと知った。
国技という中で、
ルール違反なのかもしれないが、
ガッツポーズをしたくなった
彼の気持ちに対して、
庶民の私は、ひたすら、
よかったね!
としか言えない。
外国人が増えていく相撲の世界に、
今もなお、喜びの表現さえも、
ルール決めがあることに、
少し戸惑ったりもした。

それにしても、朝青龍は、
ある意味、いつも噂の標的にされている。
良いか悪いかは別にして、
世間からは忘れられない人なのだと、
私は感じている。

噂をされているうちは、
ある意味、その人は主役であるといった、
寺山修司の言葉を思い出したりした。

投稿者 椎名 あつ子 : 19:21 

2009年01月23日

障害

スタッフの愛犬モコちゃんが
生まれつき肝臓に障害があることが判明して
何ヶ月もの時間がたった。

食事制限をしたり
内服薬を飲ませたり
飼い主である彼女も悩みながら
努力を続ける毎日だった。

今日、1才のモコちゃんは、大学病院で
大がかりな検査をすることになった。
これからの治療方針を
決めていくのだという。

今日、モコちゃんが病院に行っている同じ時間、
私は、カウンセリングに来ている小学生の子どもが
他の子に比べて劣っているものが多く
学習障害があるとして
個別学級に行くこととなった。

今までのクラスから出て、
その子だけ違うクラスで勉強をする。

個別学級に行かせるという
この決断をするまでの
母親の不安、悲しみ、
そしてクラスを移動してからも
混乱、あきらめが大きいことを知った。

すべての責任を
一番子どものそばにいる母親が
受け止めていかなければならないつらさを
感じれば感じるほど
障害とは何かを考えさせられた。

生まれつき持って生まれたその事を
誰も責められないし
もちろん誰のせいでもない。

でも、その事実を
受け止めていかなくてはならない中で、
どうしたらいいのか?
何が必要なのか?
といったさまざまな悩みとともに
必ず苦しみがともなう。

ただ、動物も人も、
同じように生き物である。

こういった障害という問題を
まず「命の大切さ」という基本の考えの中で
この世に生を授かったという命の尊さを
まず考えていきたい。

生まれつき持った一つの形を
その形として受け止めていく。

私は、人と違ったその形を
どう受け止めていくかは、
その周りの人の心の持ち方でもある気がしている。

それにしても、
答えのでない難しい問題である。

投稿者 椎名 あつ子 : 17:45 

2009年01月21日

ブランデーグラス

ブランデーを、
静かな古い古い
イタリアンレストランで、
飲んだ。

食事が終わって、
大きなふくよかなグラスに入った
ほんの少しのブランデーを
口に含む。

両手で、ゆっくりとグラスを包み込んで、
自分の体温と、自分のエネルギーを
浸透させる。

ゆっくりと時間が流れていく。

その後のブランデーは、
体温とエネルギーで温められた
私のためにある、
私だけの味を持つお酒へと変化し、
まろやかで甘い液体と変化する。

なんて優雅で、
なんておだやかな
お酒なんだろう。

お酒の王様といわれる意味が、
少しだけ理解できた。

王様は、ゆったりと静かに
待つ余裕が必要とされる。
だからこそ、
極上の味があじわえる。

私には、まだ早いお酒だと感じた。
まだ私は、赤ワインを味わうことが
唯一の楽しみで、精一杯で、
ブランデーは、
私を越えすぎていた。

私には、まだ似合わない。

でも、ブランデーグラスは、
いい形だと思う。
重みのある、おおらかな形、
そして、ゆったりと、
人を包み込む余裕がある。

このグラスには、
いつかせめて近付きたい。

私はこの日、生き方を学んだ気がした。
ブランデーグラスを、
ひとつ買ってみようか。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:37 

2009年01月19日

花束

一通の手紙が来た。
かわいい封筒を開けると、
懐かしい文字と同時に、
その子の顔が浮かび上がった。

初めて彼女に会ったのは10年前で、
彼女が10代の頃だった。
お人形のように
かわいらしい小さな顔と、細い体と、
そして大きな瞳が忘れられない子で、
青春期の彼女は、
若い恋に苦しみ、悩み、
怒りと共に悲しみを隠せず
混乱していた時だった。
それから、たくさんの、
彼女の過去の心の問題が
膿のように出始めた。

しばらくして彼女は、
突然、結婚した。
あぶなっかしい結婚に、
不安と心配を持ちつつも、
飛び立とうとしている彼女を
そっと見送った。

あれから、あっという間に
月日は流れた。

彼女の10年は、苦しみと不安と、
そして大人のずるさと残酷さの中で、
耐え続けた時間だった。

彼女は、離婚という決断の報告をしに、
久しぶりに会いに来てくれた。
彼女は、かわいいお人形から、
立派な凛とした大人へと成長し、
変化していた。
何も恐れない、そして諦めない、
美しい女性へと動き出していた。

その彼女から、私との想い出、
そして私の健康を気遣う言葉が並ぶ手紙が、
年賀状の代わりに来た。

本当に嬉しかった。
私の、カウンセラーとしての
ささやかな地味な人生に、
大きな花火が上がったような
感覚だった。

10年近く、忘れないでいてくれたこと、
そして彼女が、私を越えようとしていること、
ステキな関係だと感じた。

私は年をとっていくけれど、
まだまだ若い彼女は、
これから大きな花を咲かせていくだろう。

私は、これから、彼女のように、
過去を克服しようとしている人たちが、
今の彼女のように
大きく成長していく姿を見守れることに、
心から感謝する。

そして私も、私なりの花を
咲かせたいと思っている。
若い彼女のような人たちの花が、
大きな花びらを持つ白いカサブランカならば、
私は、小さな小花のかすみ草。
大きな花と、小さな小花は、
いつの日か、美しい花束と、
お互いの心の中でなっていく。
私はそれを、信じている。

投稿者 椎名 あつ子 : 11:52 

2009年01月16日

ASU-RA

初春、東京で国宝阿修羅展が
行われるという。
昨年、私は奈良の興福寺で、
この3つの顔に6本の腕を持つ
伸びやかな体の像を観てきていた。
360度の姿に、
それぞれの表情が心に響く。

インドの古代神話に登場する阿修羅は、
怒り狂う戦いの神だったらしいが、
興福寺のこの像は争いを忘れ、
罪を懺悔し、人を許し、
仏の道に従った姿となって、
今も残っている。

阿修羅「ASURA」は、
インドではASUは生命、
そしてRAは再びよみがえるという
意味だという。

「命はよみがえる。」

私は、この言葉だけを
興福寺で学び、帰ってきた。

左手のひとつの腕の手のひらは
修復されてなく、
昔のままの姿として残っていたことが、
ASURAの言葉を、意味深く、
とらえていた気がしていた。

形ではなく、
魂はよみがえっていく。

長い歴史の中で、
この像に託された思いを、
深く深く、
今を生きる私に、
影響を少しでも及ぼすという
人類の宝に、
私は、心から手を合わせたい。

そう、魂のあらわれでもある命は、
必ずよみがえる。

ASU-RA。

いい言葉だと、心から思った。

投稿者 椎名 あつ子 : 11:38 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

横浜市中区に開設している女性のための心のカウンセリングルームです。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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