2010年03月17日

子どもの頃の記憶

ある日の昼下がり、千葉出身のスタッフに、
私の子どもの頃の懐かしい話を
聞いてもらっていた。

私の母方の祖父母の家は、
千葉県のはずれの銚子で、
絵描きのおじいちゃんが大好きで、
よく母と遊びに行っていた。
あの頃は確か、錦糸町から銚子まで、
鈍行(各駅停車)で行っていて、
途中の佐倉という駅で、
よくカップのアイスを買ってもらっていた。

「佐倉~、佐倉~」
と駅名を呼ばれると、5分ほどの停車があり、
木の箱を首からぶら下げたおじさんが、
「アイス~、アイスはいかが~」
と、電車の窓越しに売りに来ていた。
あの頃の電車の窓は、上に引き上げられ、
そのすきまからアイスを渡してくれていて、
そのアイスが、とにかく素朴な牛乳味で、
甘くて美味しかったこと。
佐倉駅から銚子は、
アイスを食べている間、あっという間に着き、
今日まで、銚子駅の手前が佐倉駅だと
ずっと思っていた。

この話を聞いていたスタッフはびっくりして、
「えーっ、銚子と佐倉は一緒ではないです!」
と、少し、
冗談じゃないわ、千葉をばかにしている、
といった表情で、
笑いながらではあるけれど、私を見ていた。

だって、佐倉はあんなに近くて、
アイスを食べ終えた頃、20分ほどで銚子に着いていて、
いつも、おじいちゃんが車で迎えに来てくれていた。

しかし、ネットで調べると、
佐倉から銚子は、各駅停車だと1時間半もあり、
特急でも1時間の距離だと、
今日、初めて知った。
私は、アイスを1時間半も食べていたということになる。
すぐ、おじいちゃんに会えたと思っていたことも
違ってくる。
窓が開く電車がなくなってから
もう何十年もたっていて、
アイスのこともすっかり忘れていた。

そういえば、生まれてから小学校の低学年までいた、
東京のはずれの小さな家の
そばを流れていた大きな川は、
実は細くて、下水道が流れるようなものだったとか、
長い長い恐怖の土手は、
実はあっという間だったとか、
急な坂の上にあった駄菓子屋は、
なだらかな道の途中にあったとか、
大人になって、再び訪れてみて、
違った事実が、なんとたくさんあったかを知った。

子どもの頃の記憶は、本当に、
なんと不確かなことか。

時間も、大きさも、恐怖も、
実は小さかったあの頃、
感じたことでしかなかったのに、
私は、ずーっと大人になるまで、
あの感覚を疑うことなく、信じきっていた。

大きな川にいた大きなヘビは、
下水道にいたとかげだったのかもしれないし、
長い長い恐怖の時間は、
実は1分ほどだったかもしれないし、
遠かった急な坂は、
確かに、大人の足で、あっという間のところにあった。

私たちは、もしかして今でもほとんどの場合、
いまだに過去の子どもの記憶を
その通り信じてしまっているのかもしれない。
そして人は、そこから抜け出せず、
苦しんでいる場合も多いのかもしれない。

小さな子どもの頃、感じた感覚は、
時には大きく、そして時には矛盾があり、
そしてまた時には繊細すぎているのかもしれない。

子どもの頃の記憶、すべてが違うということに
当てはまるわけではないけれど、
大人になった今、もう一度、
どこまでが事実かを、
確認する必要がある気もしている。

自分の中の記憶に
戸惑いを感じた日だった。

投稿者 椎名 あつ子 : 18:08

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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