2015年03月アーカイブ

2015年03月25日

春を本当に肌で感じるようになりました。

でも、まだ、ほとんどの私の知るすべては冬眠中で
少しずつ目を覚まし始めてる感じがします。

まだ中途半端な季節です。
そんな時、今日また聞かれました。
それは、何百回以上も聞かれ続けている質問の言葉です。

「どうやってあつ子先生はリフレッシュしているのですか?」

私は今までもきっと
その時その時の気持ちで正直には答えているのだろうと思うけれど
本当はこれというものは何もないのです。

趣味といわれてもよくわからないし特技もありません。
あえていうなら

その日思いついた好きなものを食べること。

赤ワインを美味しく飲む時間を大切にすること。

レストランで食べた料理を想像して料理を作ること。

疲れたときに、体中、ピーリングすること。

ひたすら歯を磨くこと。

好きな作家の本の、好きなページを何度も読むこと。

引き締めタイツを履いて寝ること。

時に死ぬほど食べること。

1人でも、疲れていても、どこかに出掛けること。

馬にニンジンをあげてキスして乗ること。

わざと落ち込むふりをすること。

くら~い映画をみること。

お腹を抱えて笑う映画をみること。

いろいろ書きましたが
リフレッシュ法などというものはなく、こんな感じです。

何かいいこと伝えてみたいのですが
これが1人のカウンセラーのありのままの姿です。

春が近づいているので
サクラごはんや菜の花のお吸い物、ふきのとうの天ぷらなど
食べたいので作ります。
春の大地や風を感じたいのです。

 

誰にも平等に春は訪れます。

訪れるって、素敵な言葉だなと思います。
つまり、始まりの季節です。

この時期のこの環境を
感じて、感じて、リフレッシュしたいです。
暖かな優しい春を待っています。
心から。

投稿者 椎名 あつ子 : 17:33 

2015年03月21日

「寂しさの力」

朝、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいて
気になることばが入ってきた。

「生きるとは寂しさを肯定すること」

最近、カウンセリングでも50代の女性の方々から
「孤独」ということばをよく聞くようになった。

子供たちがやっと育ち
ほっとしていたら親の介護が始まり
気づいたら自分の体も心も更年期を迎え
なんとなくだるく疲れやすいといった状態の中
心もモヤモヤしていて気分が晴れない日が続く。

虚しさや寂しさという
大きな孤独の波がやってきていたりする。

私たち女性は
結婚を機に環境が大きく変わり
育児に時間をとられ
夫との会話も減っていく中
気づくと子供も成長し思春期をむかえ
あんなに可愛かった子供に反発され始めたりする。

そんな中、少しずつパートなどもして
家計のために努力もするのに
今度はパートの人間関係で悩んだり落ち込んだり。

あっという間にというか、気づいたら
子供は成長し母親から精神的に自立してしまい
母は自分の長い間守ってきた巣がカラになっていることに
気付かされ、そして、愕然とする。

つまり「カラの巣症候群」といわれる状態となる。

これは、女性にしかわからない感覚だと
私もいつも女性のクライアントさんの話を聞きながら
共感したり一緒に嘆いたりしている。

でも、それこそが、人間が持つ最も強い力
「寂しさの力」ということらしい。

寂しいと感じる自分
孤独である自分
誰からも必要とされていなくなったように感じる自分
美しくない自分。

これは大げさでもなく
女性としては絶望に近い感覚なのだと思う。

でも、この寂しさの感情を否定することは避けたいと思う。

肯定はとてもできないけれど
心にポッカリと穴の開いたような感覚を
自分の生き方のせいだとは決して思わないでほしいと思う。

何故なら、必死に一生懸命生きてきたからこそ
今、力が抜けてホッとして
寂しさを感じる時期がきているのだから。

この時期をまず受け入れてみようと思う。

私も50代になり
体力や将来のことや不安になることは多いけれど
でも、やはり女性として生まれてきたのだから
女性としての老いも少しずつ認めて
自分を可愛がってみようと思う。

女性は本当は強いはずだから。

「寂しさの力」は根底にあるはずだと
今日のことばを見て
私自身感じたことだった。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:22 

2015年03月13日

たこちゃん

何故か、お腹がすいて
何を食べようかと悩んでいて、
フランスパンと納豆とが目についた。

納豆とフランスパン…か。

そんな瞬間で、
昔々、遠い昔、
10代後半の頃を思い出した。

あの頃 たこ八郎という
元ボクサーがいて
笑っていいともの
芸人として
出ていた人がいた。

耳が半分かじられて無くて、
ボクシングの後遺症で
ふらふらとしていて
訳の分からないことを
いっていた人だった。

私の女友達の知り合いは
(彼氏だったのかな?)
そのタコちゃんの
プロデューサーでもあり
生活支援をしている人
だったらしい。

家に彼女と遊びに行ったとき
タコちゃんがいた。

午後の3時頃だったと思うけど
タコちゃんは
突然の私たち女子2人を
ものすごく喜んで受け入れてくれて
フランスパンの上に納豆をのせて
カナッペを作って
「これ美味しいのよ」と。
最高のおもてなしを彼なりに
してくれた。

あの頃、若い私たちは
タコちゃんに会えたことではしゃいで
引きつつも
納豆のせフランスパンカナッペを
食べたのよね。

耳が半分ないタコちゃんは
ケラケラ笑って
「外国の味でしょ」
といっていた。

あれから3年ぐらいたったある日、
たこちゃんは水死したと
テレビで知った。

納豆のせフランスパンは
一生の思い出となった。

そんな思い出を書きつつ
こんなことブログで書かれても
困るよね、と思いつつ、
でも、今食べても、
納豆のせフランスパンは
意外といける。

こんな時代もありました。

あの頃、人は本当に
純粋だったと…
思ったりしました。

たこちゃんは、私の中で
今でも笑っています。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:16 

2015年03月05日

捨てるということ

バッサリと髪の毛を切った。
ここ数週間、とにかく朝起きて気分が悪いのは、
髪の毛がまとまらないことだった。

ホットカーラーで巻いても、ムースをつけても、
何をしてもまとまらず、最悪の気分になる。
一日の始まりが何となくスッキリしないと
大げさだけど、すべてがイヤになる。

つまり、冬の空気の乾燥や、カラーリングや、
ストレスや、いろんな事で髪が傷んでいるということ。
何をしても、全く何もはじまらない。
髪は何も受け付けない。

少し高いシャンプーを買っても、
トリートメントをつけても、
今流行のオイルをつけても、
元の髪にはもどらない。
だから勇気を持って切ることにした。

切ったあとの床に落ちている髪の毛は、
思った以上に多く、
思った以上にショックを受けたけれど、
髪の質が生き返って
サラサラと指の通りがよくなった。

実は今、私はこのブログに髪の毛を切ったことを
言いたいわけではない。
たとえば、心が傷ついた時は、
どうにも憂鬱になって元の状態に戻れないときは
何かを捨てることが必要なのかなと
思ったという事。

切り捨てることで、傷ついた部分はなくなる。
例えば、その人との関係を捨てるとか、
今の環境を捨てるとか。
過去を捨てるとか。
悲しみを捨てるとか……。
捨てることは新しい事が生まれることなのだと思う。

私の髪の毛は、どこかにいってしまうけれど
又、新しい髪の毛が生まれる。
その繰り返し。

いつまでも傷ついた髪の毛を守ったりせず
バッサリ切ってしまってよかったと今日は思う。

普通の生活をしていると
自分のいつものスタイルや生き方に慣れていて
なかなか新しいスタイルを受け入れられないけど
勇気を持ってやってしまうと意外とまあいいかと
思えるものなのだと思う。

すぐにはいいと思えないし、後悔もしたりするけれど
時は動いているからね。
又、新しい発見に出会えるのだと思う。
ショートヘアーの私は大きなピアスが似合うかもしれない。
これがチャレンジ。

明日の朝は、サラサラした髪の毛の質に喜べそうで
何となく楽しみにしている。
これでいいんだと思えることが何よりも大切なこと。
そんなことを鏡にうつった違った私を見て考えたこと。
これは、本当。

だから、捨てることを怖がらないでやってみて。
意外とスッキリするかも。
そう思いませんか。

投稿者 椎名 あつ子 : 11:58 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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