演じない役者
カウンセラーの視点について
思ったことがあったので
書いてみたいと思います。
カウンセラーは
クライアントさんの話だけでなく
身近なことや
世の中で起きる事件などでもそうなのですが、
実に様々な視点から見ています。
例えば、
AさんBさんCさんが関わっていれば、
それぞれ三者三様の
価値観や考え方や想い、
事実、時間の経過による変化、
状況、一般的な常識、その状況での常識、
その他もろもろ
とても多角的に多面的に多軸的に
とらえていきます。
いくつもの登場人物の気持ちになってみたり、
第三者的に見てみたり、
時代や社会の中での意味なども
考えることがあります。
その時、
カウンセラー個人の価値観や判断も
もちろんあります。
人間ですから
自分自身の価値観があって
それに基づいて考えることや
好き嫌いもあります。
けれど、カウンセラーの個人的な
価値観や判断は、
カウンセリングには
そのまま反映することは、あまりしません。
それはあるカウンセラーの
一つの意見にすぎないことを
きちんと知っているのです。
一般の人とカウンセラーとの違いは、
自分自身にはない価値観や考え方も
考えられる、ということかもしれません。
一般的には、
自分の価値観・考え方以外の考え方をすることは
とても難しいことです。
多少なりとも共感できたり理解できることでないと、
考えられないことが多いと思います。
けれど、カウンセラーは、
自分自身ではそう思うことが全くなくても、
そう思う人がいるということや
そう思う気持ちに寄り添うことはできます。
理解も納得もできます。
(もちろん、全てにおいてできるわけではなく、
できないこともありますが。)
けれど、想像して理解できたり納得できても、
必ずしも同意するという意味ではありません。
例えば、犯罪を犯した人の気持ちも、
その気持ちを想像したり、理解したり、
行動にうつすまでの経過をたどって考えることは
できます。
けれど、カウンセラーも同じように考えている
というわけではありません。
同じ判断をして同じ行動をするということでは
ありません。
このように、自分自身とは違う考え方であっても、
その人の考え方をできるだけ理解できるように、
クライアントさんのお話の中に散りばめられた
たくさんのエピソードを、
まるでパン屑を置いていったヘンゼルとグレーテルを
追いかけるように、
手がかりを一つ一つ丁寧に追いながら
同じ心の道をたどってみるのです。
そうでないと、カウンセラーの仕事はできません。
多くの人の話を聞きますから、
自分とは全く違う物の考え方をする人は
少なくありません。
でも、そういう方のお話を聞くと、
「あぁ、なるほどなぁ、
そういう考え方もあるんだなぁ。」
「たしかに常識的にはダメなのかもしれないけれど、
その気持ちはなんとなくわかるなぁ。」
「今までそういう考え方をしたことがなかったけれど、
たしかにそう考えると
今まで考えていたこととは全く違う世界の見え方になるなぁ。」
などと思います。
こちらの価値観の幅が広がっていくのです。
共感するということは、
「わかるわかる」「そうよね」
という簡単なことではなく、
相手の価値観や考え方に寄り添って
まるでその人の目から見たような気持ちで
「あぁ、この人の世界から見ると
たしかにそう感じる。」
と、同じように感じることです。
なんとなくそれは、
小説家や脚本家や役者などにもある
“自分以外の誰かになれる能力”と
似ている気がします。
なんだか意外な感じがしますよね。
カウンセラーは、
ある意味で
演じない役者なのかもしれません。
カウンセラーみんながみんな
いい役者ではないかもしれませんが、
椎名先生はすごい役者だなと思います。
椎名先生が去年出した著書
「ゆがんだ愛 それから」では、
椎名先生が詩をたくさん書いています。
最初読んだ時、
椎名先生にはこんな深い闇が
あったのかと驚きました。
けれど、それは椎名先生自身の闇ではなく、
椎名先生が様々な悩みを持つ
クライアントさんになりきって
クライアントさんを演じて
ことばを紡いでいった詩なのです。
きっと、読んでいただくと
私の驚きが伝わるのではないかと思います。
椎名先生ほどに演じることはできなくても、
他の誰かを理解しようと思ったら、
その人の役をやるつもりで
役作りとして
観察したりその人の価値観や考え方や気持ちを
たどっていく作業をするといいのではないでしょうか。
パートナーやお子さんや親御さんに
なってみてはいかがでしょうか。
文:スタッフsachi
代表:椎名 あつ子
2018.08.07