2018年05月22日

登山家の栗城史多さんが
亡くなりました。

8年程前、
私は栗城さんの本を買って
読んでいました。

本の中では
「『僕は今、生きている』
僕はあきらめて下山するときに味わう、
登山の意味を失う気持ち、
無くした希望、
心の灯が消えて感じるような、
自分の終わりを見つめるとき、
それでも生きて帰ることは、
登ることよりも大切なことだと思う」
と記しています。

この本が出版されたあと
栗城さんが指9本を凍傷で失いながらも
エベレスト登山へと
挑戦し続けていた事を知っていました。

「成功や失敗ではなく、
この壁を越えてみたい。
何故なら、その壁は自分自身だと
わかっているから。」

17歳の時、
お母さんがガンでなくなり、
その最期は聞こえるか聞こえないかの声で
「ありがとう」と口を動かした
その瞬間から
何のために生きるかを
考え始めたとあります。

「人間というのは限りがある。
 そして終わりが近づくとわかっていても、
 心を折らずに生きていく人もいる。
 最後に『ありがとう』って言って
 この世を去れる人間になりたい。」

この本を改めて読んで、
栗城さんは、天国で
お母さんに会えたのかな、
そして下山途中のテントの中で
「ありがとう」と言って
息絶えたのかな、と
おびただしい
いろいろな事を
私なりに考えました。

人には、
彼が言うように
人それぞれの山があります。
その山を目指して歩く中で、
敗北や辛い悲しみや
そして絶望やあきらめることや
いろんなことがあります。
それでも、
この山を登りたいのか・・・。

「あなたにとって山は何ですか」
このことばが
いつまでも私の中に残っています。

栗城さん、ありがとうございます。
そして、心からのご冥福を
お祈り申し上げます。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:02 

2018年04月12日

ふつう

最近「普通」ということばが
嫌いです。

普通に学校に行って
普通に卒業して
普通に就職して
普通に結婚して
普通に子供を生んで(子どもができて)
普通の夫婦で
普通の親子関係で
普通に年老いて
普通に老後を迎え
普通に終わる。

こんな人生、
聞いたことも見たことも
私はありません。

ここに来る人だけではないと
思いますが、
普通でいいとか、
普通が一番と
たくさんの人が言います。

そもそも普通とは
何が普通なのか。
普通には、
一体どこに行けば
出会えるのか・・・
普通の場所は
この世の中にあるのか。

そんなことをとめどもなく思う中、
つまり、普通はどこにもなくて、
幻だと思って、
この与えられた人生の中で
幸せの意味を自分で探して、
納得することが
大切なのかなと
思ったりもした一日でもありました。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:25 

2018年03月29日

生と死

愛犬がなくなり
1ヶ月になろうとしています。
16才になる少し前でした。
腎不全で
半年間、点滴などの介護を
し続けていた犬でした。

人間の命の重さと
一緒にしているわけではないのですが、
私にとって彼女の命は
大きな大きな
かけがえのないものでした。

彼女は最期は夜中9時間、
苦しみ、鳴き続け、
スプーンから少しのお水を飲んで
息をひきとりました。

あれから、いまもまだ
私は夜中に急に目が覚めて
彼女のぬくもりを
探しています。

最近「痛くない死に方」
「苦しまない死に方」という話題を
よく新聞の広告で見ると
彼女の最期の亡くなり方を
受け止められない自分がいます。

私の両親も
もう80歳をとっくに過ぎ、
いつ、その最期が訪れても
おかしくない時期になっています。
痛みや苦しみを与えないために、
薬で眠るように少しずつ
終わらせていく形がいいのか、
それとも、
最後まで、痛みや苦しみや悲しみや
つらい感覚の中であっても、
感動や喜びや感謝を
感じられる意識があることがいいのか、
つまり、残る人に最後のことばを言い残そうとする
意志があるということ・・・
どちらが、
本人も周りも幸せなのか・・・
考えさせられています。

彼女の死は、
私に生死の意味を
本当に深く考えさせる
きっかけとなりました。

そして、私自身、これから先、
生きていくことの意味と
向き合い、考えることが多くなりました。

私はこれから先
何のために生きるのか、
または、何のためにと
考えない生き方は
はたしてあるのか・・・
生かされていることに
感謝するだけでも
人生はいいのか・・・

彼女の死を
決して忘れることがないのと
同じように、
果てしないテーマを

見つめ続けていこうと
思っています。

投稿者 椎名 あつ子 : 12:05 

2018年03月22日

桜そして雪の日

昨日は
もう春が近いはずなのに
雪が降りました。
咲き始めの桜の上に
冷たい雪が降ったのでした。

桜の花を思うと、
切ない気持ちになりました。

でもきっと桜の花は
来週には
花をもっと開き、
私たちを
喜ばせてくれるのだと
思います。

冷たい風が吹いても
こごえそうな冷たい雪に降られても
いつものように
変わらずに
この時期は咲くのです。
咲くことが
当たり前なのです。
ピンクの花は少し悲しげで、
でも一瞬の美しさを精一杯
すべての人に表して、
去っていくのです。

それでも、
私たちの新しいすべての
始まりの環境に
希望と夢と期待を
与えてくれています。

年を重ねるたびに、
桜を見ると
昔は感じなかったことが
感じれるようになりました。
こんな風に生きていけたら・・・と。
人に喜びを与え、
人に希望を与え、
人に優しさを与え、
そして、
終わりの時を
きちんとわきまえる勇気。

人は、人に認められたり
評価されたり
大切にされたり
愛されたりすると
ずっと当たり前な事として
感じてしまうけれど、
必ず、いつか終わりが、
命の終わりと同じように
やってくるのです。

だからこそ、
今、関わる人を大切にしたり
パートナーを敬ったり
そして自分のために
自分をきちんと見つめたり
そんなことをしてみようと
思ったのでした。

夫婦カウンセリングの現場では、
何かの始まりや
現状の悩みや
何かの終わりで
悩んでいることを
聞くことも多い中、
今日は桜の花の気持ちに
ひたすらなってみたいと思った日でした。
素敵な一日となりました。

投稿者 椎名 あつ子 : 11:00 

2018年03月15日

子ども、夫婦のカウンセリング

このところ
夫婦のご相談以外で
お子さんの学校や家庭内での
気になる行動についてのご相談が
毎日のように
問い合わせが来ています。

・親のお金を盗む
・学校で友達の物を黙って持って帰ってきてしまう、隠してしまう
・嘘をつく
・話さない
・いつもやる気がない、落ち着かない
・学校に行けない
・親に対しての暴言がひどい
・自分の言う通りにならないと暴れる
など

そのほかにも
たくさんの問題があり
そのことで
ご両親が悩み、疲れてしまい、
それによって
夫婦のけんかが絶えない状況にまで
発展しているケースが
多く見られます。

私がカウンセリングをしていて感じることは、
子どもの問題が先なのか
まず、ご夫婦の関係の見直しが先なのか・・・
ということです。
子どもは、親の姿や行動を
いつも見ています。
それによって、
こっちに目をむかせようと
さまざまな問題を起こし、
両親の関係を
自分なりに修復させるための
無意識な行動の場合も
少なくありません。
こちらでも、
子どものカウンセリングをしてみて、
実は両親の関係で傷つき、
悩んでいたということも
よくあります。

こちらでは、子どもさんのみのカウンセリングも
親子のカウンセリングも
行っております。
そして、その原因が
ご夫婦にあるとわかった場合、
夫婦カウンセリングに
目的を変えることもできます。
子どもの問題だけでなく、
家族全体の問題とし、
ご両親さまにも
自分たちの影響について
今はどうであるか、
もう一度、見つめるきっかけに
なっていただけたらと思います。

もう少しで春休みに入ります。
まずは、今悩んでいるお子さんのご相談からでも、
先延ばしにせず、
来てみてはいかがでしょうか。

カウンセリングは、
病院とは大きく違い、
薬を飲んでどうにかなるわけではない
心の問題について
一緒に考えていくという時間です。
ここでのカウンセリングは
傾聴だけではなく、
きちんとその人に合った
アドバイスをさせていただく
指示的カウンセリングを中心に
行っております。

第三者のカウンセラーが入ることで、
冷静に話が聞け、
解決の方向に向かっていく方々が多いのも
事実です。

カウンセリングは、
占いやスピリチュアルな物とは違って、
その人その人を
論理的に分析していきます。

もし、少しでも興味がある方は、
まずこちらをご覧ください。

夫婦のカウンセリング
子ども・親子のカウンセリング

よろしくお願い致します。

投稿者 椎名 あつ子 : 16:59 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

横浜市中区に開設している女性のための心のカウンセリングルームです。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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