2010年03月アーカイブ

2010年03月30日

ピアノの音

坂本龍一の
新しいピアノのソロCD。

美しすぎて、
時が止まっていく。

静かな空間の中に、
ひたすら、
何か忘れかけていた
ろうそくの炎のようなものが
見えてくる。
やさしく、あたたかく、
そして少し淋しくて
だけど、
決して孤独ではない。

そこには、
続きのある道がある。
導いてくれる光がある。

そう思いながら
耳をかたむけていたら、
本当に、
ふわっとあたたかくなった。

いい一日の終わりとなった。

投稿者 椎名 あつ子 : 19:07 

2010年03月26日

この広い世界の中で、
両親と呼べるのは、
誰もがたった2人でしかないのに、、
どうして自分を含めた3人の関係が
くずれてしまうのだろう。

この世に、たった3人の
生き方の問題なのに、
こんなに複雑で、
こんなに悲しく、
せつなく苦しい関係と
なっていくのだろう。

そんなことを、
あらためて考えさせられた
1週間だった。

桜は咲きはじめたのに、
春は訪れたのに、
深い深い重い扉の中に
とざされた物が、
一気に噴き出してくる。
とめどもなく、誰にも止められず、
噴き出す感情は、
確かに3人の中で起きている問題。
昨日も今日も、そして明日も、
苦しい闘いが絶え間なく続く中、
いつか、
そう、いつか、
3人で、
桜の木の下で、
満開の花をながめながら、

「ごめんなさい」
そして
「ありがとう」

と言える日を迎えられるためにできること。

それは何なのか、
どうしたらいいのか、
それを考えることが
カウンセラーの仕事。

桜が散ってしまう前に、
きちんと向き合わなくてはいけない。

桜の美しさ、
桜の本当の想い、
桜のはかなさ、
そして、桜の過去の歴史を。

今だからこそ、もう一度、
真剣に考えよう。
その時期が、
今、来たからね。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:53 

2010年03月17日

子どもの頃の記憶

ある日の昼下がり、千葉出身のスタッフに、
私の子どもの頃の懐かしい話を
聞いてもらっていた。

私の母方の祖父母の家は、
千葉県のはずれの銚子で、
絵描きのおじいちゃんが大好きで、
よく母と遊びに行っていた。
あの頃は確か、錦糸町から銚子まで、
鈍行(各駅停車)で行っていて、
途中の佐倉という駅で、
よくカップのアイスを買ってもらっていた。

「佐倉~、佐倉~」
と駅名を呼ばれると、5分ほどの停車があり、
木の箱を首からぶら下げたおじさんが、
「アイス~、アイスはいかが~」
と、電車の窓越しに売りに来ていた。
あの頃の電車の窓は、上に引き上げられ、
そのすきまからアイスを渡してくれていて、
そのアイスが、とにかく素朴な牛乳味で、
甘くて美味しかったこと。
佐倉駅から銚子は、
アイスを食べている間、あっという間に着き、
今日まで、銚子駅の手前が佐倉駅だと
ずっと思っていた。

この話を聞いていたスタッフはびっくりして、
「えーっ、銚子と佐倉は一緒ではないです!」
と、少し、
冗談じゃないわ、千葉をばかにしている、
といった表情で、
笑いながらではあるけれど、私を見ていた。

だって、佐倉はあんなに近くて、
アイスを食べ終えた頃、20分ほどで銚子に着いていて、
いつも、おじいちゃんが車で迎えに来てくれていた。

しかし、ネットで調べると、
佐倉から銚子は、各駅停車だと1時間半もあり、
特急でも1時間の距離だと、
今日、初めて知った。
私は、アイスを1時間半も食べていたということになる。
すぐ、おじいちゃんに会えたと思っていたことも
違ってくる。
窓が開く電車がなくなってから
もう何十年もたっていて、
アイスのこともすっかり忘れていた。

そういえば、生まれてから小学校の低学年までいた、
東京のはずれの小さな家の
そばを流れていた大きな川は、
実は細くて、下水道が流れるようなものだったとか、
長い長い恐怖の土手は、
実はあっという間だったとか、
急な坂の上にあった駄菓子屋は、
なだらかな道の途中にあったとか、
大人になって、再び訪れてみて、
違った事実が、なんとたくさんあったかを知った。

子どもの頃の記憶は、本当に、
なんと不確かなことか。

時間も、大きさも、恐怖も、
実は小さかったあの頃、
感じたことでしかなかったのに、
私は、ずーっと大人になるまで、
あの感覚を疑うことなく、信じきっていた。

大きな川にいた大きなヘビは、
下水道にいたとかげだったのかもしれないし、
長い長い恐怖の時間は、
実は1分ほどだったかもしれないし、
遠かった急な坂は、
確かに、大人の足で、あっという間のところにあった。

私たちは、もしかして今でもほとんどの場合、
いまだに過去の子どもの記憶を
その通り信じてしまっているのかもしれない。
そして人は、そこから抜け出せず、
苦しんでいる場合も多いのかもしれない。

小さな子どもの頃、感じた感覚は、
時には大きく、そして時には矛盾があり、
そしてまた時には繊細すぎているのかもしれない。

子どもの頃の記憶、すべてが違うということに
当てはまるわけではないけれど、
大人になった今、もう一度、
どこまでが事実かを、
確認する必要がある気もしている。

自分の中の記憶に
戸惑いを感じた日だった。

投稿者 椎名 あつ子 : 18:08 

2010年03月05日

児童虐待について

5才の息子に食事を与えず、
餓死させた両親逮捕の記事を読んだ。

今年から、朝1回の食事と水しか与えず、
歩けなくなった子どもにおむつをつけ、
寝かせていたという。
顔などにも複数のあざがあり、
死因は飢餓による急性心不全とみられている。

母親は、
「息子が物を食べず、かわいくないので、
そのまま放っておいた。」
と言っているらしい。

同じ新聞の記事の中に、
親からの虐待から、
児童養護施設に保護され
生活している子どもたちが、
全国に約3万人いると書かれていた。
これはまだ、虐待を受けている子どもの65%で、
それ以外の子どもたちは、
いまだ、親と生活をし、
虐待を受け続けているということになる。

こういった状況の中、
母親や父親が虐待をしてしまっている原因を探り、
両親の精神的なケアをしつつ、
子どもへの愛情のある育て方を
アドバイスしたり、ケアをするのは、
私たちカウンセラーの仕事でもある。

「嫌いな元夫に似た子どもを愛せない」

「子どもは好きではなかったけれど、
出来てしまったから仕方なく産んだけれど、
めんどうくさい」

「子どもへの愛情のかけ方が分からない」

「子どものせいで不幸になったとしか思えない」

と訴える様々な母親たちは、
ほとんどが、自分たちの生い立ちや、
育てられた環境に、
問題がある場合が多い。
母親たちが、自分の母親をいまだに憎み、
恨んでしまっている現状がある。

虐待を受けている子どもを1日も早く救い、
安全な場所で生活させることは、
第一に考えなくてはならない問題ではあるけれど、
つらい過去を、ひたすら抱えてきた両親を、
ただの加害者としてみるのではなく、
同じ被害者として受け止めていくことが
必要となっていくと、痛感する。

もし、自分が子どもを虐待してしまっていると思ったら、
勇気を出して、どうか、誰かに、
相談して欲しいと、心から願う。
あなたたちも、子どもと一緒に
安心した環境で守られ、
生きる権利があるのだから。

経済的に不安定な今の社会の中で、
少ないお金で子どもを育てていくことが
どんなに大変で、ストレスのかかることかを、
一度、理解した上で、
子どもとは、これからの社会にとって
財産であることを
あらためて考えたいと思っている。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:07 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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