2024年03月19日

ヒヤシンスの花 ~哀しみを超えた愛~

母がヒヤシンスの花の写真を送ってきました。

「去年、貴女がプレゼントしてくれた
ヒヤシンスの花を庭に植えました。
そして
可愛い花を咲かせてくれました。
生命のすごさを感じました。
可愛いです。
嬉しくて送りました。」

去年、街を歩いていて
オシャレなお花屋さんの店先に
三色入ったヒヤシンスの植木を見つけて
何故か、母にサプライズさせたくて
わざわざ車を走らせて渡しに行ったのでした。

花が咲き終わった後に
母が庭に植えておいたのが今日、
再び花を咲かせたとの嬉しい知らせでした。

今、改めて思い出してみて考えると
昨年ヒヤシンスの花を渡しに行った数週間後
母と私は突然仲違いをし、傷つけ合い
しばらくの間私は母との距離を置きました。

その間も土の中でこの花は命をあたためて
再び春の訪れと共に私と母の前に現れてくれたのでした。

「おだやかに平和にね」と白く可憐な花が伝えてくれているようでした。

この年になってもまだまだ人としても未熟で
アマチュアな私は母からのLINEの言葉に
恥ずかしくて自分が情けない気持ちになりました。
少しぼけはじめて、分からないことを言い出した母を
あの時許せなかった私がどれだけ残酷で冷たい娘だったのかと思うのです。

老い始めて訳分からないことを言い出した母を愛おしく思う前に
私がショックを受けて混乱してしまったのでした。

母との壮絶な過去と現在と未来の形と
老いの現象を受け止めて受け入れることが親への感謝と愛なのだと
やっとやっと少しずつ見えてきたところなのかもしれません。

本当に…
ヒヤシンスの花はたくさんのことを
私に教えてくれたのでした。

そして今日知ったこと、それは
ヒヤシンスの花言葉は「哀しみを超えた愛」でした。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:02 

2024年03月12日

恋と愛

「決して手に入らなかったもの、それはいつまでも変わらない。
手に入れてしまったもの、それはいつか色あせていく」
サラ・ティーズデイル (米国の詩人)

長い間あこがれていた品物をようやく買うことができるのは嬉しいことでしょう。
しかし、どうしても欲しくてやっと手に入れたものでも、最初の高揚感は長続きせず、
だんだん「色あせて」いくことも多いようです。

これを「ヘドニック・トレッドミル」 (快楽順応)と呼び、
幸福度が一時的に高まっても、また元のところに戻っていく
ランニングマシンに例えられます。

新たな高揚感を求めるように買い物を続ける。
まるでトレッドミルの上を走るように。
しかし脳が快楽に順応して
その状態を当たり前のものだと感じてしまうのも早くなる、というわけです。

イェール大学で人気を博した
「心理学と幸せな人生」 講義のローリー・サントス教授は、
この脳の持つバイアスに対処するには、
「長く持たないものにお金と時間を投資する」ことが有効だと述べています。
つまりモノではなくコト、旅行や体験といったものです。

大切な人に会いに行くことや、食事なども当てはまるでしょう。
唯一無二の経験は記憶に刻み込まれ、時間が経つにつれて
より貴重な思い出になっていきます。

これは男女の間でもいえることかもしれません。

「恋」と「愛」
「恋に落ちる」とは言いますが、
「愛に落ちる」とは言いません。
「恋」は なにか突発的なもので高揚感を伴いますが、
時とともに最初の情熱から遠ざかっていく。

「出会った頃はあんなに幸せだったのに」と飽き足りなくなり、
やがて二人の関係がマンネリだと感じてしまう。

この刹那的な「恋」が、長続きする「愛」に変わっていくには、
脳が幸せを当たり前のものとして順応してしまわないように
「努力」 して関係を育んでいく必要があるかと思います。

日々の食卓など小さなことでも相手に感謝し、幸せだと感じる。
日常の中で、少しの変化や成長を大切にする。
健康でいられることを慈しむ、
そしてモノではなくコト、つまり食事や旅行や、散歩でも、
とにかく一緒に何かをして時間を過ごす、
これらは意識しないとなかなかできることではありません。

そしてサントス教授も述べているように、
「他の人たちとは比較しないこと」。
幸せになるため、愛を育てるためには
「努力」も必要なのだと思います。

もう一つの言葉
「すべてのものを手に入れることなんてできやしない。
第一置き場に困るだろう?」
スティーブン・ライト (米国のコメディアン)

「うーん」と感じさせられるユーモアのある言葉だと思いました。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:41 

2024年03月05日

ひな祭り

今日は、お孫ちゃんの初節句、
そして、両親の卒寿.米寿のお祝いを
しました。

家族全員が揃って集まり
ホテルでお食事会をする事ができました。

90歳の父、88歳の母は
私の娘達夫婦、そしてひ孫ちゃん達に囲まれて幸せを噛み締めていました。

父がみんなの前で感謝の言葉を述べた時、
私は様々な過去の時間の中の
セピア色の風景や、
光の色や、
無邪気な音や、
切ない香りや
柔らかくて穏やかな感覚などを

感じながら
目から流れ落ちて止まらない
不思議な透明な物を
貯めておける入れ物がないかと
探していました。

「人生は、長いようで短いです」

父の言葉の意味を
心に刻みながら、

わたしが生まれてからの
命のバトンの繋がりを大切に
守り続けて

たくさんの感謝と
そして、穏やかな優しさを
祈りつつ

今日という日を心に刻みました。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:40 

2024年01月30日

平等であるということ

親からの子どもへの平等な愛情とは?
一体どういったことなのかなと考えさせられることが
最近数多くありました。

親として[きょうだい]へのサポートは
それぞれの個性や性格の違いを意識して
それぞれに合ったアプローチや愛情の与え方をすることが
本当に大切な事なのだなと思いました。

私は[きょうだい]に対して
平等に同じ量や形の愛情を注ぐだけではなく
その時その時の状況で一番愛情を必要としている方に
与えることがあってもいいのだと思っています。

例えば、繊細でいろいろな事に敏感で
学校内でも内気な方であまり自己主張はせず
お友達の言葉や行動に従順な子には
いつもお友達に気を遣っているので
お母さん、お父さんの優しい声がけがたくさん必要ですし、
この子の自己肯定感を高める意味でも
焦らず手出しをしすぎずに見守っていく中で
小さな事にもほめて自信をつけてあげることなど
特別に集中してもいいと思います。

また、反対に社交的ではっきりと自己主張もし
周りの子の事を気にかけることよりマイペースな性格な子には
多少放任にしていても大丈夫である場合が多くあるように思います。

こういった性格が違う[きょうだい]に同じ愛情を与えてしまうと
繊細で内気な子の方が自分への愛情が少ないと感じてしまう場合も
よくあります。

また、子どもが二人以上いる家庭では
ついつい下の子には甘く
上の子には厳しくなってしまうケースも多いものです。
しかし、親として「平等」を意識しすぎてしまうと
上の子にとっては受け入れることがつらい
不平等である場合もあるように思います。

何故なら上の子は生れてきた時は一人っ子で
親の愛を独占できていて
それが当たり前として生活してきているからともいえます。

また、親の気持ちとしても
自分の気持ちを理解してくれて
自分の言うことをよく聞いてくれる素直な子
いい子に愛情を多く与えてしまっていたり
親に対して心を和ませてくれる方などと
親自身の都合で愛の与え方を区別してしまっていることもあるようです。

Aさんの場合は(Aさんは特定な人物ではありません)
女の子、男の子という順番の[きょうだい]2人なのですが、
上の女の子はしっかりしていて頭も良く
学校でもリーダーシップ的存在です。
下の男の子は少しやんちゃで甘えん坊で
嫌な事は絶対に嫌でお母さんをよく困らせています。

下の男の子は上の女の子によくちょっかいを出し
わざと女の子のおもちゃで遊んだり、
女の子の泣いた顔の真似をしたりして
最後には上の女の子にものすごく怒られ
ぶち合いの大ゲンカになります。
そんな時お母さんは「うるさーい!やめなさい!!」と
2人に対して注意します。
お母さんはいつも平等に
2人に対してケンカをやめるように言い続けていました。

何度注意してもケンカはほぼ毎日繰り返され、
ある日、下の男の子が上の女の子の顔にケガをさせてしまいました。

その後の状況がどうであったか、どう注意したか
お母さんもあまり覚えてはいない様なのですが、
そのことがあってから2人の[きょうだいは]仲が悪いままで
そのまま下の男の子が大学生になった時、
下の男の子がお母さんに言いました。
「僕はあの女を許さない」

こういった[きょうだい]の不仲が大人になっても引き続いている場合は
[きょうだい]間で相手に対してコンプレックスや憎しみ怒りなどが
芽生えていないかが今後の関わりの中でも大切になっていきます。

そういった[きょうだい]の問題を抱えたままの場合
大人になっても人間関係や社会に対して不信感を抱きやすくなり
敵視するようになります。
また、異性に対しても独占的、支配的になりやすく
問題が大きくなりうる可能性があります。

[きょうだい]のケンカは当たり前ではありますが
大人になってからも不仲が強い場合においては
時に親の問題としても受け止めていく時期で
親としての接し方に不安や心配や見直しが必要であると思われる場合は
気にかけて様子を見ていただき専門家に相談されることも
必要であるのかもしれません。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:40 

2024年01月26日

船の旅の終わりに

横浜中華街にある老舗のバーレストラン
「ウィンドジャマー」がもうすぐ創業51年の幕を下ろします。

このお店は船体をイメージしていて
ジャズの生演奏を聴きながら
美味しい数々のオリジナルカクテルや
ピザや大きな大きな手作りハンバーガーが
食べられる場所としても有名な所でした。

2階建ての広く重厚感のある木の船内での時間は
私にとってとっても特別でした。

平日の日は1階の観光客の多い船内ではなく
2階の静かな船内が私は居心地が良く
大好きでよく出かけていました。
2階にはNさんというクルーがいつもいらっしゃって
彼はいつも礼儀正しく、物静かでありながらも
立ち振る舞いにプロの姿勢が感じられ
まさにフランスのギャルソンのような人でした。

ウインドジャマーは私にとっては
いつも近くにある船で乗りたくなったらいつでも行ける存在でした。

でもコロナになりお店が休業している時期も重なり
気づいたらだんだん行かなくなってしまっていました。

久しぶりに昨年の夏には再び出向いて行きましたが、
2階の船内はクローズとなり1階だけとなり
私にとっての大好きな静かな空間がなくなり
Nさんとの会話もなかなかできなくなって
淋しい気持ちのまま時間が過ぎていってしまいました。

そして昨年12月に
突然「ウインドジャマーの航海を終える」という
閉店のお知らせを知りました。
いつでも行けると思っていた自分に対して
大きな後悔をしました。

閉店間近の店の前には
最後に生演奏を聴きながら
オリジナルカウテルと食事をしたい人たちが
たくさんたくさん列に並んでいました。
2時間待ちということで、
私はその光景に戸惑いながら列を外れて
お店の横の入り口辺りでNさんに会えないかと思いながら待っていました。

30分程してNさんがひょっこりたばこを吸いに外に出てきました。

私はNさんに近づいて泣きそうになりながら言いました。
「長い間お疲れ様でした。一度最後にお別れを言いたくて。
お会いできて良かったです。本当にたくさんありがとうございました。」
私とNさんはハグしあいながら何度も握手をして別れました。

Nさんとはいつかどこかで、ばったり会うことがあるのかもしれないし
もしかしたら、もう会うこともないのかもしれません。

ただジャズの曲が静かに流れる2階の船内で食べた
ラムチョップの味
アンチョビピザの味
そしてNさんと話したささやかな時間。

私の癒やされた空間と時間が
たしかにそこにあったこと…
まさか、こんな別れが突然のように訪れるとは思っていなかったけれど
長い間の思い出はずーっと、ずーっと私の心の中に残ることとなっていくでしょう。

ウインドジャマー
素敵な船の旅の時間を
心からありがとう。
そしてクルーのみなさんもお疲れ様でした。
またどこかでお会いできたなら…
またね…

投稿者 椎名 あつ子 : 14:40 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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