2025年05月14日

夫婦の再生

GW休暇にはパリに出かけて来ましたが、
1番心に残ったのは
ノートルダム大聖堂でした。

800年以上の歴史を持つゴシック建設であり
ここは観光名所だけではなく
ヨーロッパまた、さらには人類全ての人の文化遺産でもあります。

この教会が2019年に火災に遭いました。
あっという間に炎の中で全てが焼け落ちてしまいました。

灰にまみれた「彼女」を世界中の人が
哀しみと、喪失感と、絶望と、怒りのような感情と共に
涙を流し見つめていました。

あの時に再建の工事には20年も30年もかかると言われていて
私も、生きている内に再び見ることは不可能なのかもしれないと
あきらめていました。

工事は瓦礫の除去や構造の安定や、安全対策を含む準備作業に
2年ほどかかったとのことで
本格的な再建工事は2021年からだということでした。

また、150ヶ国の寄付金や個人の寄付金など総額8億ユーロ以上
が集まったとのことでした。

こうして、沢山の人たちの努力と信念とで
2024年12月には一般公開と礼拝の再会が実現しました。

2024年12月7日には礼拝堂の前でオーケストラが入り盛大なコンサートが開かれた
事を知りました。
その時のヴィアネ氏がフランス語で歌った「ハレルヤ」には
日本人でカソリック教徒でもない私でも心から熱くなる想いを感じることができました。

「ある日彼女はいった。
わかったわ。私に炎を与えるのなら私は耐えましょう。
でも、私は決して死なない。
私はあなたたちの中に避難しましょう。
そして、冬の寒さの後、太陽が訪れてハレルヤの時が来たのです。
彼女はいいました。
あなた、強き者たちよ。
平和を宝物のように大切にしなさい。
それは美しいことだけど、
私たちは本当は脆い。
だから、平和をあきらめたらあなたの人生は終わり。
しかし、希望を持つ者は太陽のように輝き、
世界はハレルヤを待ち望む」

パリで再建された美しいノートルダム大聖堂をこの目で見てから
私の中で何かが生れました。

そして、その心からの想いを言葉で伝えたくなりました。

ノートルダムの再建とハレルヤの唄が今でも私の魂の中で生きています。

休暇後も様々な夫婦のカウンセリングをしている中で
修復を希望されている方にあっていますが

中には修復の意味がよく分からなくて
元に戻る生活と感じていて苦しくなっている人がいます。

夫婦がたとえ離婚ではなく修復しても
又あの時のようなつらい生活がいつしか繰り返されるのであれば
それは地獄でしかないのではないか。
修復とはなんですか??と。

私は修復という言葉を再生という言葉に変えて考えてみたいと
今、思っています。

ノートルダムの再建のように
ただ、元に戻すのではなく
個々が感じる価値や感情やアイデンティティーを再認識しあって

自分達にとって大切な場所、居場所とは何かを考えながら
元通りではなく新しい物を取り入れて再生して行く。

一度失ったことで(火災に遭って)
喪失感や、絶望を感じ合ったからこそ
壊れた物をどう乗り越えて新しく作り上げていくか
再生とは何かを考える
火災になった理由や、壊れた理由だけに囚われずに
新しい取り組み方に手を取り合って進みながら
自分との向き合いをするときでもあると
心から思うのです。

簡単なことではもちろんないのですが
希望を忘れない方、
そして自分が変わりたいと思える方
再生はあると信じられる方は
今も、少しずつ光の場所を見つけられてきています。

私自信も新しい自分の再生を試みていきたいと
こころから感じています。

この感動を忘れずにいたいと思っています。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:27 

2025年05月08日

自由な国 パリ

GW休暇も終わり日常の生活にもどりました。

今回はこの事務所が25周年ということもあり
二年ぶりにパリに出かけてきました。

毎回、観光らしいことはせずに
生活するように、
ゆるくまったりとした時間を過ごすことにしていますが、
今回は久しぶりに事前に美術館のチケットを取り
オルセーとオランジェリー美術館に行って
モネ、ピカソ、ゴッホ、マティスなどの絵を観て回りました。

昔に観た絵でも、
年齢を重ねてからの感じ方の変化にも自分でびっくりしました。

モネの睡蓮の「朝焼け」では美しさよりも静かなる沈黙の大切さをひしひしと感じたり
また、ゴッホの自画像では狂気や苦悩よりも凛とした真の強さを感じたり
また、マティスの裸婦の絵では色鮮やかな色彩の憧れのようなことよりも
言葉では言い表せない女性の本来の優雅さとエレガントさに美を感じたりしました。

年を重ねることは、沢山の様々な経験から
感じ方や、物の見方や、考え方が増えていく事でもあり

人の感覚はどんどん変わっていくのだと

同じ物や同じ事でも昔と今では違って受け止めていることに
新しい発見と喜びを感じることができました。

そしてまた、
華やかに見えるパリでも、
貧しい生活の人たちが今回はとても増えた気がしました。
生と死が隣り合わせであるようにも見えました。

生きていくことがとてもきびしい時代になってきていることは
どの国でも同じなのかもしれません。
ただ、パリにいる人がどんな人でもみんな堂々として見えるのは
何故なんだろうと思ったりもしました。

そこには生きる事への自由さを忘れていないからなのではないのかなと
私なりに思ったりしました。

自由であるということと
孤独であること

この二つの
ある意味、真逆な状況を

「私は、それでも自由である」
というポリシーとして
生きているように感じたのでした。

この感覚をいつも味わいたくて
私はパリに行くのだとまた、あらためて感じたのでした。

投稿者 椎名 あつ子 : 16:27 

2025年04月11日

あたため合う時間

4月にもなり新年度も始まりました。

大人も子どもも新しい環境になり
少しずつ疲れが出始めている頃だと思います。

大人でいうと
仕事の部署が変わったり、上司が変わったり、
会社の業績の問題等で仕事の量が増え続けたり
また、時代の変化で部下とのコミュニケーションや価値観のズレなどで
人間関係に不信感や苛立ちを感じる人もいるように思います。

共働きの場合は特に、子どもの育て方や教育方針の違いに絶望していたり
また、日常の細々した家事分担の不平等さを感じていたりしています。

その結果、ストレスが増えて夫婦の会話が減ってしまい
話し合いではなく言い争いが増えて
お互い相手に対しての不満やイライラが日常的となって
家の中が冷め切っている場合も多く観られます。

子どもに関しては
夫婦関係の影響もあって、子どもが反抗的になっていたり
ゲームやSNSにはまって部屋からあまり出てこなくなったり
親子の会話も関係も希薄になってしまっている家庭も多く観られます。

子どもも学校や学童や塾等の社会の中で緊張していますし
また、親のルールを強制させられていて(子ども目線で)
優しさや、穏やかさなどのあたたかい空間がなく
存在価値や親の愛情がわからなくなっている場合もよく観られます。
この時期、不登校や身体の不調が出始める頃でもあります。

私も日々感じますが
今生きている社会が国際的にも国内でも
あまりにも不本意で振り回されることや、不安になることも多くあり
みんなが疲れ切ってしまっているように感じる場合がよくあります。

夫婦カウンセリングや、子どものカウンセリングをしていても
毎回感じるのは、
大人も子どもも行き場のない様なやるせない空虚感が心の中にあり
修復や改善をする方法がわからなくなっている様に感じます。

誰もがこのままではいけないと分かりながらも
今の生活や気持ちに余裕がなくなっていて
もがいているうちにどんどん気持ちが萎えて
あきらめに近い状況になっている人たちが沢山います。

今の家の中で何が起きようとしているのかを想像して

今一度、大人も子どもも一緒に家族問題として
今感じている不満や寂しさや怒りや哀しみなどを聴きながら、
声かけをしたり、慰めたり、共感したりして
あたため合っていきたいと心から感じています。

もう少しでGWに入ります。
休めるときに少しでも
家族で乗り越える手立てを考える時間になるといいなと
思った日でもありました。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:23 

2025年03月25日

それでも生きる

「どうせ死ぬなら、パリで死のう」

先日、観たNHKのドラマでした。

私自身、パリが大好きで
いつか年老いたら、パリで余生を過ごしたいと
思っているほどなのでこのタイトルが気になり観たのでした。

このドラマは
主人公は経済的にも困窮している大学の非常勤講師。
彼は悲観主義者(ペシミスト)の哲学者エミール・シオランを研究する程に
生きることにネガティブで普段から生と死の間で揺れ動いている人。

哲学者シオランはルーマニア出身で反出生主義でもあり
「人間は生れてこない方がいいし子どもを産むべきではない。
この世界は最悪な物で成り立っていて
その世界において人は最悪な人生を生きていく他ない。
だから人は生れてこない方が良いのだ」と。

真逆に、その主人公の彼の姉は自由奔放で
元ボーイフレンドとの間に子どもを妊娠したことがわかり、
妊娠期間中に過去の人との間にできた子どもを預かる事を彼に願い出ます。

突然の出来事の中で、預かることになったその子どももまた、
生きることに絶望していました。

悲観主義な大人と子どもが生活していく中で
見いだしていく現実の世界がそこにはありました。
姉の子どもが生れてくる中で危険な状態になったりして
その事で命について考えるきっかけとなり
悲観的ながらも
「バイトもたくさんして、いつかパリに連れていくよ」と
甥っ子にいう言葉に救いがありました。

また、主人公の「なぜ、こんな世界なのに生きているんですか」
の問いに同じ大学の准教授の女性が答えるシーンが心に残りました。
彼女はいいます。
「私はね、ズタボロで悲惨的な人生の方が、味わいがあると思っているから。
何でもうまくいくツルツルな人生って、何かダサくない?」

この言葉には、頭にがーんと何かを投げつけられた様な強烈な感覚を持ちました。

人生って、
本当に苦しかったり、悔しかったり、辛かったり、嘆いたり、恨んだり、泣いたり、
そんな事の繰り返しで
後悔したり、反省したり、あきらめたり、逃げ出したり、
それも当たり前に沢山あると思います。

それで・・・

哲学者シオランは人生を否定していた人ですが
84歳の人生を全うしたのでした。
人生を否定しながらも、生きることを受け入れて自殺せずに
生と死を問い続けながら生きていったのでした。

私はこのドラマを観れて本当に良かったと思いました。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:13 

2025年03月13日

生きづらさを抱えているお母さん達へ

私の所に来て下さる方達は
夫婦カウンセリングを受けに来る方が多い中で
夫婦間の問題の中に子育ての悩みもあります。

ここ10年ほどは共働き夫婦の問題が増えてきています。

小さい子どもを保育園に預けながらお母さん達も必死で働いていて
それ以外に当たり前に、沢山の目に見えない家事にも追われています。

子どもを会社の帰りに保育園に迎えに行き
買った食材を持ったまま子どもを連れて帰宅して
帰ってゆっくりする時間もなく急いで食事を作り、汚れた子どもの服を洗い
その間に部屋を片付けたり、子どもにご飯を食べさせながら自分も急いで食べて
あっという間にお風呂に入れて寝かしつける。

この時間は、帰宅してからわずか3時間程だったりします。
その3時間ほどの中で子どももぐずったり、泣きわめいたり、いうとおりにしてくれなかったり、遊びたいといってなかなかお風呂に入ってくれなかったり
せっかく作ったご飯を食べてくれなかったり、こぼしたり、
また、月一回ほどは子どもが具合悪くなったり・・・

子育ては、肉体的にも精神的にも大変は第二の仕事です。

初めて子どもが生れた時は
満ち足りた不思議な温かな感覚に包まれて
天使のようだと心の中からかわいいと思えた瞬間
自分の母性に気付くお母さんも沢山いると思います。

それから何年か経って
仕事に復帰した後は毎日が闘いとなっています。

子どもを育てていく中で
自分の中にある孤独感のような、切なさのような物が
どんどん浮き彫りになって
その感覚に押しつぶされそうになり
気が狂いそうになりながらも
そんな感覚を感じている自分を責めてしまったり

そんな沢山の闘いの時間が
自分だけ味わっているように感じて
そんな苦しみや切なさや哀しみが夫への怒りとなっていきます。

夫は夫で大変だと分かっていても
いろいろ助けてくれているとは分かっていても
優しい時もあると分かっていても

それでも気持ちに余裕を持つ時間もない中で
お母さん達はボロボロになっています。

お母さん達の中には
子どもの頃に親から受けた傷を
自分の子どもの成長と共に思い出してしまった人も沢山います。

親密な人間関係を築くことが苦手で辛いトラウマを抱えたお母さん達に
子ども達は残酷にも勝手に迫ってきます。
自分が親から受けた同じ傷を負わせたくないと必死で頑張れば頑張るほど
子育てがどんどん苦しくなっていきます。

そして大人になってもまだ、子どもの頃の生きづらさから
解放されていないお母さん達は精神的に限界になっていきます。

自分はいい子でやってきていろいろ我慢してきたし
母親のいうことは必ず聞いてきたし
わがままも許されず
母の機嫌で左右されてきたし
暴力にも耐えてきたし
時には両親の言い争いの間中、声を出さずに泣いていたわたし・・・

それなのに
私の子どもは私のことなど理解してくれることもないし
泣きわめいてくるし
私が怒鳴ると、夫は軽蔑した顔で私を見下しているように見えてくる

そんな苦しみの中にいるお母さん達が本当に沢山います。

回復とは何なんでしょう。

「ありのままの自分と向き合い、自分の本当の気持ちを認め
受け入れて成長する」

そんな事はきれいごとで
自分の気持ちといっても一筋縄ではないほど奥が深すぎることが多いのが
現実だと思います。

頭で分かっていても心がついて行かないことも沢山あると思います。

ただ、
まだ、自分の中に生きづらさがあるとい事を
自覚してどうにかしていきたいと

悩むのではなく
考えていくことが
大きな回復の一歩であると思いたいのです。

持ちきれない重い荷物はひとりで抱えずに
相談できたり、ただ聞いてくれる仲間や友達や
家族やまた、本や、専門家等を探してみて
回復の一歩を踏み出していただけたらと思っています。

そして生きづらさを抱えているお母さん達は
あなただけではないと知っていただけたらと思います。

3月になって
仕事や、子どもの学校などでも変化が訪れる忙しい時期でもあります。

「子どもの為と思いすぎて無理をしすぎずに

自分で少しでも休める方法とわかり合える人や仲間を探してみてください」

自分と闘っている沢山のお母さん達に

心からエールを贈りたいとおもった日でした。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:23 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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