2024年07月26日

LibertyとFreedom

パリでオリンピックが始まろうとしています。

戦争が起きている中での
オリンピック開催について考えると
複雑な感情といろいろな意見が浮かんできます。

戦争による混乱、悲劇が続いていて
多くの人が苦しむ中で
大規模なスポーツ祭典を祝うことが
倫理的にどうかという議論も
先日TV番組を観ていて考えさせられました。

ただ、悲観的な考えだけではなく
オリンピックは平和と国際協力の象徴でもあり
競技を通して様々な異なる国や文化が
一つとなる事で平和についての再認識をして
戦争の終結に向けて動き出すことになる場合もあるのかもしれません。

2021年に開催された東京オリンピックでは
COVID-19パンデミックの影響で1年延期されて行なわれました。

最近のことではありつつも、少し記憶が薄れてしまっていますが
あの大会は、無観客で行なわれてたくさんの感染対策が取られていて
華やかさよりも不自由な緊張感があったように思えます。

ただ、そのために
多くの困難や厳しさを乗り越えて行なわれたことは
私たちに団結の重要性を伝えてくれた大きな経験となりました。

今日から行なわれる
自由の国ともいわれている
フランスのパリオリンピックを想像しながら
「リバティ(liberty)」と「フリーダム(freedom)」
同じ自由という意味の中での自由の違いについてふと知りたくなりました。

調べてみると
「libertyは社会や国家によって認められる自由であり
個人の行動が他者の権利や社会の秩序と調和することを前提とする」
とあり、「憲法で保証された市民の自由」となるようです。

「freedomはより広範な自由で、個人的なレベルで
物理的、精神的な束縛からの解放感や自分自身の選択による行動の自由」とあり
ます。

「自由」という概念は
とても多面的で様々な意味を持つことを
知ることができました。

パリでのオリンピック開催が

本当の「自由」の意味を

それが届くことのない果てしない望みであったとしても
世界中の人たちと共に
いつか
たくさんの嘆きと戸惑いと喜びを
美しく変わらないセーヌ川に託して

そして
今の人類の大きな壁を
個々ひとり一人が乗り越えるために
平和ときらめく無数の星のような
偉大な愛の深さを改めて触れて感じて

オリンピック・・・
この時を
私自身も忘れないでいたいと思います。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:39 

2024年07月19日

優しい休日

私のお誕生日に
両親がピンクの胡蝶蘭を贈ってくれるようになって
5年以上が経ちます。

「来年はもう贈れないかもしれないから」と
いいながらも両親は90歳と88歳という年齢になりました。

毎年、娘の私の為に二人でデパートに行って
元気が出て幸せな気分になるようにと
華やかな大輪のピンクの胡蝶蘭を探して送ってくれます。

その胡蝶蘭の花が先日、咲き終わりました。

花が咲き終わることは当たり前なのに
今年はとても悲しくて、苦しくて
そしてとても怖くなりました。

胡蝶蘭の花が終わりに近づくときは

気付かないうちにそっとテーブルの上に
綺麗なまま花びらが落ちているので
その姿が切なすぎて
たまらなく辛く感じたのでした。

今回は花が終わった胡蝶蘭の後のお手入れをする事にしました。

風通しのいい素焼きの小さめの植木鉢や
胡蝶蘭用の土や水苔なども買いました。
植え替えの方法をたくさん調べて
二つの植木鉢に新しく植え替えました。

カーテン越しに
新しく生まれ変わった胡蝶蘭の花茎を並べていると
両親の私への深い想いを
再び感じることができました。

短く切った花茎から
花芽が伸びて二度咲きが訪れることを
心待ちにしている自分がいました。

それはまるで
小さい頃の私がお留守番をしていて
両親が帰ってくるのを待っているような気分でもありました。

そんな気持ちにさせてくれた
ささやかな温かい時間が
とても愛おしく、大切な事でもありました。

過去のおびただしい
両親への機能不全に感じていた感情や
あきらめていた親子の関係や
そんな遠い昔の自分を
今になっても忘れられない中で

それでも
私は
確かに疑いなく愛されてきたのだと

深い大きな愛に支えられ守られてきたのだと

終わりに近づいてきて
やっと、やっと分かることが
あらためて在るのだと
胸の上に手を置きながら
込み上げてくる物を感じながら

ゆっくりと深く深く息を吸い
ゆっくりと息を吐くことをしていたら

身体の奥深いところから
湧き出てくる泉のような流れに身を任せていたら
ふっと力が抜けていきました。

愛の形は長い時間と共に形を変えて
しずかに満ちていくのだと
そんな事を知れた
優しい休日となりました。

投稿者 椎名 あつ子 : 11:45 

2024年07月09日

「不完全」ということ

最近はテレビにも車にも音声機能がついているものが多いですが
私の発音が悪いのか、間違った答えを返してくることが多く、
不便を感じることがよくあります。
「違う!」と思わず呼びかけても、もちろん通じず、なお混乱することに・・・。

最近は機能を重視する家電や車などでは間違いは欠点であり、
より完璧が求められるといえると思います。
そして昨今の人工知能(AI)の目覚ましい進化を考えると
そう遠くない未来に、人間のように正確に言葉を理解し、指示通りの働きを完璧にこなすものができても不思議ではありません。

ところで、私は1歳半になる雌のチワワを飼っていますが、
彼女は「おいで」といっても来ません。
何度も「おいで」というと、おもちゃをくわえてきて遊んで、となります。
でも おやつを手にしたとたん、「おいで」と言わなくもすぐに飛んできたりします。
本当は指示通りに従ってくれるが良いのかもしれませんが、うまくいかないのも可愛いいですし、彼女の魅力のような気がします。

完璧ではないこと、正確ではないことの魅力、
うまくいかないことの「意義」のようなものが人にもあるように思います。

人にもそれぞれに個性があり、言うことが通じなかったり、
想定外の反応をしたりしますので
そのことが、特に夫婦や親子問題などでは
争いや不信につながることもよくあります。

程度にもよりますが、
相手に完璧な理解を求め、想定通りのリアクションを求めてしまうことは
半ば機械やロボットに対するようなことであり、
無機質な関係になってしまいますよね。

不完全、想定外、不便さを許容し、個性や魅力としてとらえるようにできれば
相手に対するリスペクトや、心の余裕にもつながるはずではありますが
そう簡単ではないのも事実です。

最近の夫婦カウンセリングでも
お互いの特性や価値観に対して認めることができずに
責め合う関係になってしまっていて
夫婦お二人が疲れてしまっていました。

それはどの家庭にもよくあることですが
家事の仕方や、子供への接し方、義理の親との関係、金銭感覚、セックスについて
など・・・
夫婦といえども他人同士ですので
たくさんのすれ違いが時間と共に
「不完全」な関係だと
結論が出てしまっている場合もよくあります。

世の中が益々、合理的になってきているからこそ
「不完全」な関係を

「にんげんだもの」

とユーモアで笑えたら
人間の弱さも失敗も愛おしくおもえるのかもしれないな。
そんなことを自分にも置き換えながら思ったのでした。

投稿者 椎名 あつ子 : 16:12 

2024年07月02日

左様ならば

「さよならだけが人生だ」

中国唐時代の詩人の于武陵(う・ぶりょう)が作った詩を
井伏鱒二が翻訳した言葉です。

人生は別れの連続だということを言っていると、とらえることもできるし
人生とは嵐の前に散ってしまう花のように
はかないものだともとらえることができるそうです。

最近、仕事でも、私生活でも
よくある出来事の小さなさよならを経験して
ふと、このフレーズを思い出したのでした。

さよならの語源は

「左様ならば」
に由来して
そのようであるのなら
そうであるのなら
という意味で

別れる運命を受け入れていく寂しさの中にも覚悟のようなニュアンスを感じます。

また、英語であれば

Goodbye
「God be with you
神があなたとともにあれ」
ということになります。

相手への思いやりを感じる言葉でもあると思います。

生きている中でどれだけの「さよなら」を人は経験するのでしょうか。

それはもちろん悲しすぎる絶望に近い別れもあれば、
愛着のある物品も含め、場所との別れなどもあると思います。

誰しも数えきれない出会いと別れを繰り返していると思います。

「さようなら」はもともと接続詞で、「だから」や「しかし」のように、文と文、語と語 をつなぐ役割を持つものです。

「そうであるなら」に続くのはネガティブな文章とは限りません。

「今日も一生懸命働いて充実した一日だった。さようなら(そうであるなら) 、明日も頑張りましょう」という文脈もあります。

「今まで通っていた大好きなお店だけど。そうならばまた、新しい場所を探そう」

「お互い努力して向き合ってきたと思いますので、新しいそれぞれの道に進む考えもありますね」
などたくさんあります。

「これまで」と「これから」をつなぐ「さようなら」。
別れは定めかもしれませんが、この接続詞の後に続くのはできれば肯定的な文章にしたいとも思った日でもありました。

最近経験した様々な私の「さよなら」にはそう感じています。

そして、
日本語の「さよなら」が
なんて切なくて美しい響きの言葉なのだろうと
柔らかな雨のしずくに触れながら思ったのでした。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:46 

2024年06月26日

小さな光とひまわり

ドラマの最終回でした。
久しぶりに涙を流し続けた時間でした。

「アンメット」というドラマですが
unmetという言葉はmeetの満たす、達成するの否定形で
満たされていない、達成されていない
という意味になるようです。

主人公の脳外科医が、ろうそくを見ながら愛する人に伝えるシーンがあります。
「できた影に光を当てても、また新しい影ができて満たされない人が生まれてしまう。
どうすれば、くまなく照らしてアンメットをなくせるのか
その答えをさがしています」

その言葉に対して愛する人が、
「光は自分の中にあったらいいんじゃないですかね。
そしたら多分暗闇も明るく見えると思います」
と答えていきます。

このセリフには胸がうたれました。

光があるから影ができるわけですが

影の部分で満たされないで生きている人たちが実はたくさんいて
苦しい環境の中で生きていることを見過ごしてしまいがちであるのかもしれません。

このストーリーの内容とは違いますが
私のところへカウンセリングに来て下さる人の中に
光り輝く生活や地位や名誉があり裕福な人であっても
心の中は誰にも理解されない闇があり
その暗い恐怖や不安など、
取り除くことのできないアンメットがあったりします。

外見からではわからない世界があります。

このドラマからたくさんの事を学んだ気がしました。

その内容が心の中に響いて忘れられなかったからなのか

今日は、小さな花束を買いました。
じめじめするこの時期に
ほんのささやかな優しい光が照らせるといいなと
ひまわりの花を選びました。

黄色やオレンジ色のひまわりは
玄関を明るくしてくれたように思えました。

「光は自分の中にある」この言葉を大切にしたいと思いました。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:03 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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