2025年03月25日

それでも生きる

「どうせ死ぬなら、パリで死のう」

先日、観たNHKのドラマでした。

私自身、パリが大好きで
いつか年老いたら、パリで余生を過ごしたいと
思っているほどなのでこのタイトルが気になり観たのでした。

このドラマは
主人公は経済的にも困窮している大学の非常勤講師。
彼は悲観主義者(ペシミスト)の哲学者エミール・シオランを研究する程に
生きることにネガティブで普段から生と死の間で揺れ動いている人。

哲学者シオランはルーマニア出身で反出生主義でもあり
「人間は生れてこない方がいいし子どもを産むべきではない。
この世界は最悪な物で成り立っていて
その世界において人は最悪な人生を生きていく他ない。
だから人は生れてこない方が良いのだ」と。

真逆に、その主人公の彼の姉は自由奔放で
元ボーイフレンドとの間に子どもを妊娠したことがわかり、
妊娠期間中に過去の人との間にできた子どもを預かる事を彼に願い出ます。

突然の出来事の中で、預かることになったその子どももまた、
生きることに絶望していました。

悲観主義な大人と子どもが生活していく中で
見いだしていく現実の世界がそこにはありました。
姉の子どもが生れてくる中で危険な状態になったりして
その事で命について考えるきっかけとなり
悲観的ながらも
「バイトもたくさんして、いつかパリに連れていくよ」と
甥っ子にいう言葉に救いがありました。

また、主人公の「なぜ、こんな世界なのに生きているんですか」
の問いに同じ大学の准教授の女性が答えるシーンが心に残りました。
彼女はいいます。
「私はね、ズタボロで悲惨的な人生の方が、味わいがあると思っているから。
何でもうまくいくツルツルな人生って、何かダサくない?」

この言葉には、頭にがーんと何かを投げつけられた様な強烈な感覚を持ちました。

人生って、
本当に苦しかったり、悔しかったり、辛かったり、嘆いたり、恨んだり、泣いたり、
そんな事の繰り返しで
後悔したり、反省したり、あきらめたり、逃げ出したり、
それも当たり前に沢山あると思います。

それで・・・

哲学者シオランは人生を否定していた人ですが
84歳の人生を全うしたのでした。
人生を否定しながらも、生きることを受け入れて自殺せずに
生と死を問い続けながら生きていったのでした。

私はこのドラマを観れて本当に良かったと思いました。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:13 

2025年03月13日

生きづらさを抱えているお母さん達へ

私の所に来て下さる方達は
夫婦カウンセリングを受けに来る方が多い中で
夫婦間の問題の中に子育ての悩みもあります。

ここ10年ほどは共働き夫婦の問題が増えてきています。

小さい子どもを保育園に預けながらお母さん達も必死で働いていて
それ以外に当たり前に、沢山の目に見えない家事にも追われています。

子どもを会社の帰りに保育園に迎えに行き
買った食材を持ったまま子どもを連れて帰宅して
帰ってゆっくりする時間もなく急いで食事を作り、汚れた子どもの服を洗い
その間に部屋を片付けたり、子どもにご飯を食べさせながら自分も急いで食べて
あっという間にお風呂に入れて寝かしつける。

この時間は、帰宅してからわずか3時間程だったりします。
その3時間ほどの中で子どももぐずったり、泣きわめいたり、いうとおりにしてくれなかったり、遊びたいといってなかなかお風呂に入ってくれなかったり
せっかく作ったご飯を食べてくれなかったり、こぼしたり、
また、月一回ほどは子どもが具合悪くなったり・・・

子育ては、肉体的にも精神的にも大変は第二の仕事です。

初めて子どもが生れた時は
満ち足りた不思議な温かな感覚に包まれて
天使のようだと心の中からかわいいと思えた瞬間
自分の母性に気付くお母さんも沢山いると思います。

それから何年か経って
仕事に復帰した後は毎日が闘いとなっています。

子どもを育てていく中で
自分の中にある孤独感のような、切なさのような物が
どんどん浮き彫りになって
その感覚に押しつぶされそうになり
気が狂いそうになりながらも
そんな感覚を感じている自分を責めてしまったり

そんな沢山の闘いの時間が
自分だけ味わっているように感じて
そんな苦しみや切なさや哀しみが夫への怒りとなっていきます。

夫は夫で大変だと分かっていても
いろいろ助けてくれているとは分かっていても
優しい時もあると分かっていても

それでも気持ちに余裕を持つ時間もない中で
お母さん達はボロボロになっています。

お母さん達の中には
子どもの頃に親から受けた傷を
自分の子どもの成長と共に思い出してしまった人も沢山います。

親密な人間関係を築くことが苦手で辛いトラウマを抱えたお母さん達に
子ども達は残酷にも勝手に迫ってきます。
自分が親から受けた同じ傷を負わせたくないと必死で頑張れば頑張るほど
子育てがどんどん苦しくなっていきます。

そして大人になってもまだ、子どもの頃の生きづらさから
解放されていないお母さん達は精神的に限界になっていきます。

自分はいい子でやってきていろいろ我慢してきたし
母親のいうことは必ず聞いてきたし
わがままも許されず
母の機嫌で左右されてきたし
暴力にも耐えてきたし
時には両親の言い争いの間中、声を出さずに泣いていたわたし・・・

それなのに
私の子どもは私のことなど理解してくれることもないし
泣きわめいてくるし
私が怒鳴ると、夫は軽蔑した顔で私を見下しているように見えてくる

そんな苦しみの中にいるお母さん達が本当に沢山います。

回復とは何なんでしょう。

「ありのままの自分と向き合い、自分の本当の気持ちを認め
受け入れて成長する」

そんな事はきれいごとで
自分の気持ちといっても一筋縄ではないほど奥が深すぎることが多いのが
現実だと思います。

頭で分かっていても心がついて行かないことも沢山あると思います。

ただ、
まだ、自分の中に生きづらさがあるとい事を
自覚してどうにかしていきたいと

悩むのではなく
考えていくことが
大きな回復の一歩であると思いたいのです。

持ちきれない重い荷物はひとりで抱えずに
相談できたり、ただ聞いてくれる仲間や友達や
家族やまた、本や、専門家等を探してみて
回復の一歩を踏み出していただけたらと思っています。

そして生きづらさを抱えているお母さん達は
あなただけではないと知っていただけたらと思います。

3月になって
仕事や、子どもの学校などでも変化が訪れる忙しい時期でもあります。

「子どもの為と思いすぎて無理をしすぎずに

自分で少しでも休める方法とわかり合える人や仲間を探してみてください」

自分と闘っている沢山のお母さん達に

心からエールを贈りたいとおもった日でした。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:23 

2025年02月28日

我欲から原点へ

先日の連休に京都に出かけてきました。

京都には、年に2回は必ず行くようにしているのですが
実はそれには大きな理由があります。

8年前に癌の告知をされて
その時に絶望を感じ
藁をもすがる思いで探して出会った寺院が京都にありました。

そこ平等寺は
1003年創建の真言宗の寺院でその中にある
本尊・薬師如来像は、善光寺、清涼寺の釈迦如来像とともに
「日本三如来」の一つとして数えられていて
人々の病気や苦しみから救い、あらゆる願いを叶えて下さる
有り難い仏様として古来より貴族や民衆までの多くの人々から信仰されてきたようです。

平等寺は京都の町の中にひっそりとある古くて小さな寺院ですが
初めてこの寺院に訪れて祈祷をしていただき
初めて御護摩焚きを見た時には全身が震える様な感覚になったことを覚えています。

それから検査や手術等もして、今は経過観察をしていますが
おかげさまで今も生かされています。

それからこの場所に来る目的で
京都には必ず来るようになりました。

まさか自分が告知されると持っていなかったので
もちろん誰もがそうだと思いますが
人間ドックの検査結果であっさりと「悪性ですね」と
言われたときは、今から想い出してみようとしても
どうやって帰ったか覚えていない程で全てが終わった気がしました。

手術の前日の日記です。

「運命ってあるのか?
あらかじめ定められた何かがあって自分が信じて選択したとおもっていても
実は運命の一部としてすでにプログラミングされていたことで
わたしたち自身の意志とか考えもあってないような物なのか・・・

それでも運命を切り開く様に自分の意志の力で運命の道筋を変えることができるのか・・・

私は神様を信じる

神様って宗教的でもなくて
何か形をしているわけでもなくて
とても尊いパワーというか
エレルギーとか
流れみたいな
守られていうような・・・

今、私に与えられていることは
しっかりと受け止めてみること
重い荷物のような哀しみや怖さとか
全て背負っているように気がするけど
大丈夫と思える日
が来るかもしれないから

つまり、
幸福と不幸はコインの裏表みたいな物で
だから幸福を求めるのなら
そのために耐え忍ばないとならない
何かが生じることも覚悟すること

感謝して生きるって本当にかんたんではないよね

全てをかけて自分の魂を愛する
大きな何かに身を任せて自分を信じる
そして大切にする・・・

明日が来ることは生きていること」

こんなメモを書いていた自分とあの時を
忘れないためにも

日常の我欲から原点に戻らせていただく時間が京都への想いでもあります。

そして今日も明日も穏やかでありたいと思います。

明日から3月になります。

今頃はしだれ梅と椿が美しい京都を心の中で描きながら
平等寺に向かって祈りたいと思いました。

投稿者 椎名 あつ子 : 16:51 

2025年02月14日

バレンタインデー

今日はバレンタインデーですね。

この日は、国や文化によって様々です。

日本では少し前までは女性が男性にチョコレートを贈るのが一般的でした。
仕事関係でも義理チョコを贈ったりしていましたが、
今ではお友達同士で贈り合ったり、自分へのご褒美としても人気のようです。

アメリカでは男女ともに恋人や夫婦や学校のお友達同士でも
プレゼントやカードを贈るようです。
フランスやイタリアではさすが愛の国ですから
恋人同士には特別の日でもあるようです。

昔私の子ども達が学校に行っていたときは
インターナショナルスクールに通っていましたので
それはそれは大きなイベントでした。

親たちは子ども達に内緒でこの日のために
手作りのプレゼントと、心のこもったお手紙を用意して
先生に事前に渡しておいて
当日にみんなの前で子ども達にサプライズとして渡してくれるという事が毎年ありました。

私も子ども達が寝た後にドアに飾るリースを二人の娘のために創っていたことを想い出します。
あの時は、仕事が大変で寝不足になりながらも
喜ぶ顔を想像しながら
チクチクと針をさして、お花を作って沢山のリボンで飾ったリースを完成させた時の
達成感を今でも覚えています。

学校ではそれぞれの親が作ったプレゼントを見せ合って
喜びや感謝をほめ合って一緒に楽しい時間を共にしていたようでした。
いい時代でした。

あれから、何十年も立ちましたが、
娘達もそれぞれの家族でこの日の意味を想い出して
楽しい時間にしてくれたらと
こころから思ったのでした。

皆さまにとっても
恋人や、友達や、家族がいる事のありがたさを心から
愛おしく思って感謝する素敵な日になりますこと
お祈り致します。
Happy Valentine’s Day!

投稿者 椎名 あつ子 : 12:29 

2025年02月04日

一期一会

ここ、横浜心理ケアセンターに
1ヶ月に一度来て下さる業者さんがいます。
その方とはもう23年ほどのお付き合いになります。

23年というと、このカウンセリングルームが
今のところに引っ越ししてからのお付き合いになるので
長い歴史になります。

当時は、私の娘達もまだ学生で
学校帰りに事務所に寄ることもあり
その方Aさんが良く話の相手をして下さっていました。

先月、いつものようにメンテナンスに来て下さった時に
最後にサインをする時に差し出して下さった
ボールペンを私がお返しするのを忘れてしまいました。

Aさんは、その後直ぐに電話をしてきて
「すいません。ボールペンを忘れてしまったので次の時まで取っておいて下さい。
大切な物で・・・」
と焦った感じでいわれていたので保管して今回いらしたときにお渡ししました。

そのボールペンは、
正直に言うと、どこにでもある普通の物だったので
私は少し不思議に感じながらいました。

今回、ボールペンをお渡しするときに
Aさんが話してくれました。
「取っておいて下さってありがとうございます。
実は、僕は1本のボールペンを最後まで使い切ることにしているんです。
なんてことない、普通のボールペンですが、
このボールペンは、新規のお客様の契約や、お客様からお金を頂いた後のサイン等に使っているので僕の想いがありますし、そのお客様との縁があるので
使い切ることが僕の縁担ぎみたいなもんで・・・」

素敵すぎるはなしでした。

Aさんとの長いお付き合いも
こうした彼の誠実な気持ちや対応に惹かれていたのかも知れないと
改めておもったのでした。

その時にふと思った四字熟語が
一期一会でした。

この言葉は日本の茶道に由来する言葉だと聞いたことがありますが、
人との一生に一度の出会いを意味し、
茶会に出る際、
その機会は二度と繰り返さない一度きりかも知れないと心得て
互いに誠意を尽くす心構えのことの意味とされています。

Aさんとは、これからも続く関係ではありますが、
友人でも、家族でも、クライアント様とでも
再び会えるかというとそれは誰も分からないことでもあるので
今日会えたことに感謝して
その時を大切にしたいとおもいました。

そして長い知り合いとも
お互いの歴史をみてきた関係を大事にして
これからも見守り合いながら
大事にしていきたと思ったのでした。

素敵な言葉に感激した日でもありました。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:28 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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