2025年08月27日

自分の弱さとは

Netflixで話題の「グラスハート」を観ました。

心がとても繊細で、時に傷つきやすい人たちの
葛藤と、苦しみや、哀しみを乗り越えて成長をしていく姿を描いた
人間ドラマでもあります。

このドラマを観て感じた事は

「人は皆、心の中に壊れやすく、弱い部分を持っている」

ということでした。

このことは心理では脆弱性(せいじゃくせい)と呼ぶことがありますが
沢山の人は、「弱さを見せたり、壊れやすさを知られたりしたら
受け入れてもらえないし、評価が下がる」と感じて

必死に隠そうとしたり
問題無いようなふりをしたり
理解できないことがあっても聞く事させできなかったり
その場から逃げてしまったり
関わらないようにしてしまったり

弱さを見せないように防衛本能が働いて生きづらさを感じている人も
少なくないと感じています。

ただ、実は自分の「弱さ」を勇気を持って見せれたことで
人間関係を深めるきっかけになったりすることもよくあります。

カウンセリングの現場でも
夫婦カウンセリングや親子カウンセリングの中で
「本当の気持ち」を言葉にしたとき

それが不満であったり
怒りであったり
自信のなさであったり
抱えていた不安であったり
罪悪感であったり
ぐじゃぐじゃになっている気持ちを吐き出したとき
関係性がぐっと変わる瞬間があります。

その時に「自分にも同じ様な感覚がある」と
共有できた事で安心感や何か繋がりを感じたりするのかもしれません。

「自分の弱さを受け入れる力(自己受容)」
をあらためて考えるきっかけになった時間でもありました。

「自分の弱さ」を大切にして一緒に生きていくことが
ありのままに生きることに繋がるのだと

「グラスハート」での俳優達の
繊細で優しく情熱的な姿もまた、私に何か熱く込み上げてくる物を
与えてくれました。

投稿者 椎名 あつ子 : 16:05 

2025年08月01日

今ある日常

8月になりました。

これから、もっと危険な暑さが続くのかと思う中で、
台風接近等のニュースを聞くと
憂鬱な気分になるのは皆さんも同じだと思います。

ずいぶん昔ですが、
私の子供達が小さかった頃などは、

お盆に合わせて帰省して家族や先祖との繋がりを再確認したり
蝉の声や夕暮れ時の風に癒やされたり
夏祭りに浴衣を着せて楽しい思い出を作ったり
ゆでたトウモロコシや冷えたスイカを一緒に食べたり
あの頃の暑さは心地よい汗をかいて夏らしさを感じられて
子供達の夏休みは、大人達も
何故か今よりももっと
緩やかに平和に過ぎていっていた気がします。

最近は、情報をたくさん選べる時代になって
楽しむ場所も沢山あります。
夏休みに出かける予定を立てている御家族達の話も良く聞きます。

ただ、暑さ対策の多さや、車の渋滞や、高騰するホテルの金額や
日々の生活の疲れや仕事の調整など様々なストレスが増えていて
イライラしてしまうことも多く
夫婦喧嘩や、親子喧嘩などで
楽しい旅行が「こんなはずではなかったのに」
となりつつある方の話も良く聞きます。

共働きをしている夫婦が当たり前の時代の中で
子供は学童に行かなければならなかったり
子供の昼ご飯を用意しておかなければならなかったり
仕事が終わって自宅に帰る時もまだ暑すぎて
疲労がたまってしまっている親たちの姿は本当に悲惨です。

イライラしないはずがない状況が沢山あります。

そんな中で子供達にもゆとりがなくなっているように感じます。

友達と一緒に遊ぶ場所も一緒に遊べる友達も居なかったり
子供らしさという物が失われてしまっているように感じたりします。

時代はどんどん変わり
先が見えない時でもありますが

学校が休みでもあるこの夏休みに
親も子供も
自分達の辛さや大変な事や寂しいことやイライラすることや
不安なこと等を
共感しながら、慰め合いながら
そして小さな「ありがとう」を言い合いながら
一緒に話せる時間を取れたら少しは「ほぐれあう」
事ができるのかなと思っています。

8月は始まったばかり。
8月は「平和」について考える機会が多い月でもあります。
静かに手を合わせて
忘れがちではありますが
「今ある日常」の尊さについて感じることを

私自身も、あらためていきたいと思います。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:55 

2025年07月29日

「国宝」

映画「国宝」を観てきました。

沢山の人が素晴らしかったと話しているのを聞いていて
観に行きたいと思いつつもやっと実現できました。

実はこの映画を見に行くまでの期間に
板東玉三郎さんのドキュメンタリー「書かれた顔」(1995年・監督ダニエル・シュミット)をアマゾンプライムで観ていました。
この二つを照らし合わせることで深く学べたことがありました。

人が芸に生きるということの運命とそしてその代償、
また人間の裏と表の仮面を持ちながらの存在の意味でした。

「書かれた顔」から知ることができたのは
坂東玉三郎さんが女という性を演じる事は

「顔」を伝統や記憶の形として「書かれて」いく中で
次第にそれが女の人生そのものになっていく

その現実と幻想の狭間のような姿に私たちは魅せられていく・・・

このドキュメンタリーはそんな状況を
メランコリックにそして詩的に描いています。

玉三郎さん自身が語る言葉があります。
「舞台の上で私は「女性」ではなく
女性という幻想を持ちながら演じている存在」

このことを語るときの玉三郎さんは
女性を演じる上での男性としての苦悩や繊細さ、そして覚悟を
秘めているように感じました。

また、「国宝」でも
個人を超えた芸人としての伝承や幻想などを
演じていく事は苦しい修行であるということ。

それと同時に自分という個を消していくという
運命のような、怖くもある孤独感が描かれていました。
そういった人生そのものが
観ていて吸い込まれるような美しさとなって行くのだと思いました。
そしてこの二つの映画を観て思ったことは

芸人だけではなく
人は誰にも
守るべき「型」や「仮面」があり
そしてそこには
どうしようもない「運命」のような人生があるのだと

久しぶりに深い何かに触れられた気がしました。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:30 

2025年07月15日

一瞬の世界

夕焼け色の雲がぐんぐんと
動いていました。

まるで、川のように。

台風が近づいている模様だけど

アートティックな動画が
目の前に現れたみたいで
あまりにも、感動的で

赤信号を待って
急いで
携帯カメラで撮りました。

雲が流れる、この世界の一瞬が
幻のように美しくて。

自然の大きくて、果てしなくて
偉大なのに
儚くて、
そして、すこし
怖くなるような
そんな
色や形を感じたい。

体と心で
しっかり受け止めたい。

そう感じた日。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:17 

2025年07月15日

一瞬の世界

夕焼け色の雲がぐんぐんと
動いていました。

まるで、川のように。

台風が近づいている模様だけど

アートティックな動画が
目の前に現れたみたいで
あまりにも、感動的で

赤信号を待って
急いで
携帯カメラで撮りました。

雲が流れる、この世界の一瞬が
幻のように美しくて。

自然の大きくて、果てしなくて
偉大なのに
儚くて、
そして、すこし
怖くなるような
そんな
色や形を感じたい。

体と心で
しっかり受け止めたい。

そう感じた日。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:13 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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