2008年03月07日

祖母

96歳の祖母の容態が急に悪くなり、
入院した。

もう、5年以上も前から
痴呆がひどくなり、
一人で歩くこともできないため、
施設に入っていた。
その祖母が、突然、
今月持つかどうかと言われたらしい。

私は来週、一度、
お見舞いに行くことを、
両親と相談して決めた。

96歳という、一世紀近くも生きてきた
女性の人生を考えた。

祖母の夫は海軍で、
私の父がお腹の中にいたとき、
戦争で片足を、海の上で落とした。
私の父は、両足のある父親を
知らないで育った。

祖母の夫は、父が大学1年生のとき、
急死した。
それからの人生は、
父と父の弟を支え、
2人とも大学に行かせるため、
働き詰めだったらしい。

父と母が結婚し、その後は、
弟夫婦が共稼ぎだったこともあり、
祖母は、弟夫婦の子どもの
母親代わりとして、
長い間生きてきた。
私のいとこであるその子が
大きくなるまで、
祖母が母親のような存在だったことは
よく覚えている。
孫同士でありながら、
私はいつもその子と比較され、
何となく遠い存在の人だった。

私のいとこが大人になり、
しばらくして祖母は、
私の家に来て住むことになった。
私の意識の中では、
いとこがいなくなったとたん、
弟夫婦から追い出されてしまったように
長い間感じていた。

その後、私の父と母は、
祖母のことでよくけんかをしていた。
女一人で男の子2人を育ててきた祖母には、
自信もプライドもあり、
専業主婦の母を
見下していたのかもしれないと、
今になって思う。

若かった私は、そんな母がかわいそうで、
父が母を怒るたび、
許せない気分が一杯になっていった。

あの頃、父を恨んだ。
祖母を恨んだ。
そして、父の弟夫婦も恨んだ。
父の関係すべてがイヤだった。

私の中では、正直、
祖母への想いはとても薄く、
長い間、あまり考えもしないで
時が過ぎていった。

そんな中の、突然の知らせだった。

私は、父に電話した。

「今、会わないと、私、後悔するから、
一緒に病院に行ってください。」

祖母は、私をもう、
覚えていないと思う。
私のことも、父のことも、
もう分からないと思う。
でも、魂はあるから、
きっときっと、
何かは感じてくれるだろう。

今、私は、
祖母を許したいし、
祖母をいたわりたいし…

…そう、でも一体今さら、
何ができるのだろう。

ずーっと考えて、私は、
祖母の薄くなった髪の毛を
いっぱい撫でてあげたいと思っている。
これが最後に会える時かもと、
覚悟して。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:55

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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