2007年08月06日

戦争

毎年、終戦記念日の
8月15日が近付くと、
戦争に関する番組が、
テレビやラジオで始まる。

昨日は、NHKスペシャルで
「硫黄島・玉砕戦」
という番組があった。

サイパンに近いこの小さな島で、
61年前、何が起きていたかという、
知らされていない事実が
明らかにされていた。

当時、飲み物の水を与えられないまま、
この島に送り込まれた人たちの数は、
数千人とも言われている。
自決することも、投降することも許されず、
ただひたすらこの土地を守り続け、
戦うことだけを強く教え込まれていた。

彼らは、40度を超す洞穴の中に、
細長い迷路のような道を掘り、
その中でじっと、
敵の攻撃を待ち続けた。
アメリカの兵士たちにとっても、
この戦いの犠牲は、
当初思っていたよりも多く、
4ヶ月間にも及ぶ戦いであった。

日本兵の、国を思う、
信じられない精神力に対して、
恐怖と憎しみを感じた敵は、
そのあちこちの洞穴の入り口から、
海水とガソリンを流し込み
火をつけたり、
爆弾を詰め込み、生き埋めにしたり、
ありとあらゆる方法で攻めてきた。

全身やけどを負い、
手足がなくなったまま命を落とす、
日本兵の最期は、
あまりにも残酷であり、
誰もが死ぬ前に冷たい水を
欲しがったという。

ただ、当時は、この惨敗した
激しい戦いを、
日本の新聞は何一つ国民に伝えず、
日本兵はすでに、日本国からも
見捨てられていた。

そんな中、生き残った
数人の人たちがいた。
61年間、口を閉ざし、
この戦争の消えない記憶に
苦しみ、嘆き、
ひたすら生きてきた人たち。

仲間を想い続け、
ひとりだけ生き残った意味を考え、
罪悪感との葛藤の中で、
やっとテレビの番組で話してくれた言葉。

「あの戦争で、死ぬ意味は、
一体何だったのか。」

無駄な死とは、
とても辛すぎて、悲しすぎて、
そんなことはいえないけれど、
果たして、何だったのか。

海の美しい、小さなこの島は、
今でも自衛隊に管理され、
入ることはできない。
たくさんの、彼らの骨は、
61年間、放置されたままである。
彼らの魂は、この時期、
何を訴えているのだろうか。

戦争は、もう決して
あってはならないといった、
当たり前のことを、
61年間、伝えられない教えとは、
一体、どんな教えだったのか。
壊れた教育が生んだ、
恐ろしい戦争、
人が人でなくなる、
極限の狂気の中でさえも、
守り続けさせられた教育。

戦争と教育といった
2つの言葉の責任を、
戦争を知らない私たちは、
どうやって次の世代に伝えれば
いいのだろうか。

今年もまた、その日が近付いてくる。

投稿者 椎名 あつ子 : 18:55

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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