2007年08月10日

キャンバス

一人の男がいた。
穏やかで優しすぎて、
淋しすぎる男がいた。

父親の数々の残酷な言葉に
傷付きすぎて、
自分を見失ったまま
長い間生きてきた。

軍国主義的な管理に
押しつぶされ、
言葉を失くしたままだった。

小さな部屋で、ひたすら油絵を
小さなキャンバスに描くときだけが、
彼の中で自由な時間だった。

ののしられ、
罪人のように扱われ続けた彼は、
遠い遠い昔の初恋を
ひたすら想い続け、
描き続ける。

人は彼を、
弱すぎるとも言うだろう。
馬鹿げているとも言うだろう。
何故、父親から
逃げないんだとも言うだろう。

ある日、彼は、
父親に出さない手紙を
書き始めた。
決して見せることのない手紙を
何枚も何枚も書いた。
悲しみと、苦しみと、
憎しみと、怒りの言葉だけが、
並べられていた。

何百枚にも及ぶ手紙の中に、
たった一つ、
書き足された言葉。

「お父さん、
あなたが死んだら、
僕は自由です。
それが又、恐怖です。」

息子を愛せない父と、
愛されたことのない息子の関係は、
強い鎖のようなもので
つながれている。
この鎖が、いつか切れる時、
その時、彼は、
大きなキャンバスに
絵を描けるのだろうと思う。
きっと。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:51

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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